フリートークでの論議から
今回の集いの平井さんの話の後の「フリートーク」では、前回の集いでの平井さんの話に対する補足や感想も含めて、会場の参加者と平井さんの間で活発な論議や意見交換が行われました。以下、その時の論議のアウトラインを紹介します。
司会者:
この後は、前回の集いでの平井さんの話も含めて、自由に感想等を出してもらえればと思うが、私自身の障害者解放運動との関わりについて少し言うと、私が学生だった頃に、前回の平井さんの話にあった「富山市差別文書糾弾闘争」の富山市との「確認会」や「糾弾会」に連れて行ってもらった。その場には、全国から駆けつけた全障連の人たちも参加してたが、「障害者解放運動に関わる障害者の背後に政治党派がいるのでないか」という予断の下に、他の自治体に対応を尋ねる照会文書を送った富山市の差別的な姿勢を追及する障害者の人たちは、すごく迫力があって健常者の自分にとっては怖いくらいだった。その後、私は障害者の介護に入るようになったが、当時、障害者と介護の健常者は、本音でぶつかるような「熱い」関係で、自分も夜中に起こされて「しんどいから後にして」と言って、後で相手から怒られることもあった。今は逆に、そうした関係がなくなってしまったのではないかと、平井さんの話を聞いて改めて思った。
参加者A:
前回の集いでは、バスの運転手による障害者への乗車拒否に抗議して青い芝の会のメンバーがバスを占拠した「川崎バス闘争」の映像を見たが、自分も昔、富山で障害者をバスに乗せようとしたときに、バスの運転手に乗車拒否されたことがあった。その時、自分たちがバスから降ろされると同時に、それまで静かだった老若男女の乗客たちが一斉に、「お前らみたいのは、バスに乗ってくんな」、「迷惑だ」と大声で罵倒し始めた。それは自分にとっては思いがけない体験で、ある意味では面白かった。そのような感想を自分の周囲の障害者の人たちに言ったら、ひんしゅくだったが。
参加者B:
今日、平井さんはデイサービスのことを話していたが、やはり、今のデイサービスというのは、障害者本人のためのものというよりも、家族がラクになるためのものかな、と思う。本人が「こういうデイサービスだったら行きたい」とか、「こういうサービスが欲しい」と思っても、サービスが保険点数化されていたり、「メニュー化」されていたりするので、そういった要求に応えるのは実際にはなかなか難しい。現在の福祉の状況は、先に制度があってその枠に利用者が自分の生活を合わせねばならなくて、「その枠の中で生きてください」と言われているように感じる。
制度に頼らなくても、たとえば、ある車イスの障害者は会話ができないけれども、スーパーで買い物をする際に、「何か困ったことがあれば、この番号に連絡してください」というメモを用意していて、スーパーの店長などが対応できるようにしているそうだ。また、言語障害のある障害者で、乗ってる電動車イスが途中で止まるようなときに、メモの携帯電話の番号を近くを通る歩行者に指で示して連絡してもらっている人も知っているが、それで特に問題は起きていない。SNS上では、「障害者と関わって何かあったときの責任はどうするんだ」といった話が飛び交っているが、そのように、「危険だから」とか、「何かあったらどうするんだ」ということばかりになると、結局、何もできなくなってしまって、障害者の生活は非常につまらないものになってしまうのではないか。
参加者C:
「65歳以上の障害者は介護保険制度の利用が優先だ」として障害者総合福祉法の介護給付の支給が却下されたことに対して、千葉市の70代の男性の障害者が却下処分の取り消しを求めた裁判のことを、最近、ネットの記事で知った。記事によれば、東京高裁の判決で一度原告の男性側の勝訴となった後、現在、審理が高裁に差し戻されているということだった。そのように、「介護保険制度の利用の優先」というルールによって、それまで利用していた障害者福祉制度のサービスが利用できなくなってしまうことについて、平井さんはどう思っているのか。また、平井さん自身はどのように介護サービスを利用しているのか。
平井:
私自身は、あまり介護サービスを使っていないということもあって、もっぱら介護保険制度のサービスを利用している。去年は介護保険のサービスをたくさん使ったが、主に利用していたのは、人工関節の手術の後の入浴のためのデイサービスや、訪問リハビリ後にシャワーを浴びるための身体介護サービスだった。富山市の意向としては、障害者が65歳以上になった時点で介護保険制度を優先的に使わせる方向にもっていこうとしている。
生活保護制度の利用者は介護保険料や介護保険のサービス利用料が実質的に免除されるが、生活保護を取っていない65歳以上の障害者が介護保険を使って、デイサービスに通ったり、車イスや介護用ベッドをレンタルしたりしてお金を使いすぎると、今度は、身体介護サービスや訪問介護・訪問リハビリを利用するお金が足りないということになってしまう。また、同じデイサービスでも、「質の高いサービスを提供している」という認定を受けた大手の事業所は、介護保険の点数の加算率が高くなって、他と比べて利用料が高くなる。
私が知っている65歳以上の障害者でも、今でも障害者福祉制度の介護サービスだけを使っている人もいるし、それと介護保険制度の両方のサービスを利用している人もいる。そうした意味では、千葉の高齢障害者の裁判の結果が、今後の障害者の生き方に大きな影響を与えることは間違いない。なお、制度的には、「65歳以上の障害者は、介護保健制度の限度額まで介護サービスを使ったら、障害者福祉制度を利用してサービスの不足分を補うことができる」ということになっている。しかし、介護保健制度で介護人派遣事業を行っている事業者の多くは、障害者に介護者を派遣する資格をもっていないので、実際にはそうしたサービスの切り替えは極めて困難だ。
参加者D:
ストレートにお尋ねするが、「障害者解放」という言葉はいつ死んだのか。
平井:
自分としては、それは2000年代に入ってからのことではないかと思う。前回の私の話の中で、1979年の養護学校反対運動の動画をお見せしたが、その動画の中で視覚障害者で全障連の代表幹事だった楠敏雄が文部省(当時)前で抗議アピールをしている場面があった。2014年に彼が亡くなった後、関西の全障連は無くなってしまったが、彼がいなくなったことは障害者解放運動にとって大きな痛手だった。なお、現在、私も含めて4人のメンバーで集まって、全障連として会議を行っている。
この間の障害者の運動は、相談事業や介護人派遣事業を行う事業所の運営が主要な活動になっているが、世代交代していく中で、かつてのように障害者が解放されるとはどういうことかとか、障害者差別といかに闘うか、とかいう話をしなくなってきている。障害者が運営する事業所自体も、介護者が集まらないことで存続が難しくなっている。また、長年、障害者介護をやっていたヘルパーがいなくなった後、代わりの人を新たに雇っても、すぐに辞めてしまうということが多い。
前回の集いでも話したように、私は全障連として、障害児が地域の学校に通うことを求める「就学闘争」に関わっていた。「統合教育」が進まない現状に対して、自分たちとして教育の問題にもっと力を入れたいと考えているが、最近の障害児の親は、「いろいろと手厚く世話をしてもらえるから、支援学校に通学する方がいい」と思う人が多くて、そのことが運動として成立し難いのが現状だ。
参加者E:
私は、2000年から約5年間、自立生活支援センター富山がスタートする直前の時期まで平井さんたちのやっている「富山生きる場センター」で働いていたが、自分がいたのはちょうど障害者の運動の変わり目の時期だったように思う。前回の平井さんの話ではその頃のことを少し振り返っていたが、当時の富山生きる場センターのスタッフ同士の関係は熱気があって、ピアヘルパーの講座を行うなど、地域の障害者の自立生活を支援するということをもっとストレートに打ち出していた。今日の平井さんの話で、「介護保険の点数が・・・」といった話を聞くと、その頃とは、障害者運動の雰囲気が変わってしまったのかなと思う。
参加者F:
2003年から2005年ぐらいまでは、措置ではなく、支援費制度になり、施設を出てくる人がどんどん出てきて、私自身、その手助けができているという意味でやりがいがあり、ぱあっと目の前が開けるようなわくわく感があった。しかしその後、支給量の抑制があり、締め付けが厳しくなった。支援費制度が使えた数年間はよかったが、今は変わってしまった。
平井:
支援費制度が始まった頃は、介護サービスの利用の際に細かく注文をつけられることはなかったが、それが廃止されて以降は、「相談事業所を決めてケアプランを立てないと、介護サービスは利用できない」ということになってしまった。そのことで自分たちの活動内容も大きく変わってしまったように思う。
参加者G:
私は学生時代に平井さんたちと出会ったが、富山市差別文書問題の糾弾闘争の会場に連れて行ってもらってから、私自身も障害者の介護に入りながら、障害者解放運動に関わってきた。前回の平井さんの話にあった闘争の場面に私も連れて行ってもらって参加したが、その頃の運動に関わって自分も楽しかったし、全障連の障害者の人たちの強い思いに触れて、「障害者が解放されるということは、自分自身の解放にも繋がることだ」と感じていた。
私は今、精神障害者が通う就労系の福祉施設で働いているが、私の職場では、平井さんたちのように介護保険のサービスの保険点数の計算に苦労するということはない。しかし、先ほどから言われているように、自分自身も「制度の枠に利用者の生き方を押し込める」ということをしてしまっているのではないか、と身につまされるところがある。施設の利用者が楽しいのが一番大事だとは思うが、福祉施設の職員をしていると、どうしても当事者を差し置いて、「この人だったら、こういうサービスがいいだろう」という発想になってしまいがちだ。
先ほどの参加者の発言にもあったが、支援費制度の廃止後、制限が厳しくなって福祉サービスの利用が不自由になったというのは、どこの障害者の自立生活支援センターのスタッフでも感じていることだと思う。そのような制度の在り方に対する疑問をもつケアワーカー同士でもっと繋がりたい、と思う。今日の集いで何人もの人たちが指摘しているように、福祉制度の不備や介護サービスの不足といった難しい問題への対応が、結局、福祉現場のケアワーカーに「丸投げ」されてしまっている。本当は、そういった問題は現場のスタッフだけが悩むことではなく、「この問題をどうするんだ!」ということを富山市や県の福祉行政の担当者にぶつけるべきではないか。ぜひ、この場にいる人たち同士でそのようなことを考えて、一緒に元気よく行動できたらいいと思う。
参加者H:
今日の集いの論議を聞いて思うのだが、障害者解放運動の1つの「到達点」は、国に支援費制度を作らせたことではないか。今日の平井さんの話にもあるように、この間、介護保険制度のサービスの運用に合わせて、障害者の介護サービスの利用が規制されるようになっている。しかし、本当は話が逆で、高齢者福祉の制度自体が、かつての支援費制度のように、高齢者がサービス利用料の心配なしに、「必要な支援を、必要なときに、必要なだけ受けられる」ためのものに成るべきではないか。介護保険制度の要介護認定も、本当は医師でなく、実際に高齢者へのケアを行っているヘルパーやケアワーカーが、高齢者本人が望む生活をするためにはどんな支援やサービスが必要かを本人と相談しながら行うべきものだ、と思う。
このところ、この国でもようやく、「障害」とは当事者の身体機能の欠損が生み出すものではなく、当事者が社会参加するための条件を整備しない社会の在り方が生み出すものだという、「障害の社会モデル」ということが、言われるようになっている。そのような「社会モデル」への認識の転換というのは、この国の高齢者の抱える〈生きがたさ〉がなぜ生じているかを考える上でも必要なことではないか、と思っている。そういったことも含めて、障害者解放運動が思想的にどのような地点に到達して、何を成果として勝ち取ったかということが、現在の高齢者福祉制度の在り方を見直す際の1つの手がかりになるのではないか。また、そのことが、「バトンをつなぐ」というテーマを考える上でも大事なことのように思う。
司会者
前回と今回の2度にわたって平井さんを迎えて話してもらった後で、今日は時間を取って参加者同士で活発な論議をすることができた。今年度の「バトンをつなぐ」の集いを終了した後も、ぜひ、このように障害者や高齢者の福祉について日頃から感じていることを率直に言い合う場をもつことができれば、と思う。
確かに制度ができていろんなサービスが生まれているが、先ほどから何人もの人が指摘しているように、そのことで逆に、当事者が制度の枠内で生きることを強制されるという状況になってきている。そうした状況を打破するには、かつての障害者解放運動のように、要求を掲げて行政に迫る力をもう一度私たちが取り戻すことが必要ではないか。そのためにも、「バトンをつなぐ」の集いでできたつながりを活かして、今後、障害者や高齢者の福祉制度の在り方についての実態調査や論議を進めることができれば、と思っている。
発言する参加者
質問に答える平井さん
発言する参加者
発言する参加者