高齢者生存組合

2025年度 企画 報告
「バトンをつなぐ  未来につなぎたいもの」

2025/06/27

2025年度連続講座 第1回

第1回 案内チラシ pdf

 

 高齢者生存組合の2025年度 連続講座 第1回の「ACT地域精神医療を推進して」では、アイ・クリニック理事長の吉本博昭さんを話し手に迎えました。
 吉本さんは、富山市民病院・精神科を退職して2011年にアイ・クリニックを開院し、依存症等の心の病を抱える人たちが実際に生活を営む場を医師・看護師・精神保健福祉士等による多職種チームが訪問して支援するACT(包括型地域生活支援プログラム)を実践しています。
 当日、吉本さんには、富山で先駆的にACTの導入を進めてきた経緯や海外の精神医療の先進地域での取り組み等を、多数のスライドを使って話してもらいました。
 以下、その時の吉本さんの話のアウトラインを当日使用したスライドも交えて紹介します(スライドをクリックすると画像が拡大します)。

高齢者生存組合からの挨拶

吉本博昭さん 

 

なぜACTを始めたか

 

 精神疾患それ自体は成人の数人に一人が発症する「ありふれた」病気であるにも関わらず、日本では心の病を抱える人たちへの差別的な扱いや精神科病棟への長期収容が続いている。そうした状況に対して、「WHOの勧告(1968年)」や「OECDの分析と提言」などでは、「質の高い精神医療は病院での治療から、地域でのケア体制を充実することが必要」という今後の精神医療の方向性が示された。
 また、富山市民病院でACTを立ち上げた2007年に、「第14回日本精神障害者リハビリテーション学会」が富山で開催され、「患者さんが望むものは、住んでいる町や村での、あたりまえの生活だ」と訴える富山大会宣言が採択された。その宣言や「WHOの勧告」、「OECDの分析と提言」の理念に基づき、現在までACTを続けている。

WHOの勧告から

OECDの提言から

富山大会宣言(1)

あたりまえの生活が

 

アイ・クリニックを始めた経緯

 

 2005年に、富山市立病院の精神科病棟のベッド数を半減するプランが発表され、同時期に、ACTの研究プロジェクトを立ち上げ、翌2006年、試行。2007年に市民病院でACTを開始した。

富山市民ACTの立ち上げの経緯

富山ACTの実施システムの検討

ACTの実施概要(1)

富山市民ACTの紹介パンフから

 市民病院でのACTの経験をふまえて、2011年、現在の場所にアイ・クリニックを開院した。開院時に町内の人たちから、精神科病院を開院することを思いとどまってほしいとの要望があったが、何度も話し合い、なんとか開院できることになった。開院後、町内の人たちから、「心配は杞憂だった」、「開院してもらって良かった」との評価のことばをいただいた。
 アイ・クリニックでのACT(iACT)の特色としては、日本で初めてアルコール依存症の治療を「アウトリーチ」(訪問診療)方式で行っていることや、他の総合病院の精神科との連携がある。自分としてはACTの普及を願っているが、ACTの活動に対して現行制度では保険診療点数が付かない等、いくつもの課題がある。

iACTの立ち上げの経緯

iACTについて

iACTと総合病院精神科との連携

ACTは発展できるか

 

オーストラリアとイタリア訪問

 

 2007年10月末、精神科の治療が国立の総合病院で行われているオーストラリア・メルボルン市を訪ねて、現地での精神保健改革(1992-)の取り組みを知ることができた。イタリアでは一部の総合病院の精神科を除き、精神科病院が廃止されたが、イタリア訪問では、それに至るまでの精神病患者の長期収容所の閉鎖的な実態や、精神科病院の解体を推進したフランコ・バザーリアの「自由こそ治療だ!」という理念の下に精神疾患をもつ人たちへの医療・ケアを実際に「地域医療」として推進している様子に触れることができた。

なぜ、オーストラリアなのか

NMHSの成果

なぜ、今イタリアか

自由こそ治療だ!

 

今後の地域精神医療に望むもの

 

 近年、地域包括ケアシステムを心の病をもつ人たちにも対応させよう、という「にも包括」ということがよく言われるようになったが、ACTの当面の課題として「にも包括」の推進・具現化ということがあると考えている。2022年の「精神保健福祉法」の一部改正で「にも包括」が正式に規定されたが、今後、富山市版「にも包括」システム構築へのロードマップの作製・提示が求められている。

iACTの問題点とは

「にも包括」とは

精神保健法改定「にも包括」導入

富山市「にも包括」を提示

 

 ※ホームページに掲載するに際して、当日の吉本さんの話とスライドの順序を一部変更。なお、当日使用されたスライド全体と会場で資料として配布したACTに関するパンフレットの閲覧は、以下をクリック。

 

  

 第1回 吉本さんのプレゼンテーション pdf資料 176ページ     

 

 第1回 吉本さんのプレゼンテーション当日印刷された資料 30ページ

  

 第1回 資料 ACTガイド

  

 アイ・クリニックの紹介
「最新の Clinic News:」欄の2025.6.15に「吉本医師がサンフォルテでの講演で使用したスライドのファイルをダウンロードができます」のお知らせ

 

フリートーク

 

 初めに、会場から、「今後、富山でACTを推進するための課題としてどんなことがあるか」と問いが出された。
 その問いに対して、吉本さんは次のように答えた。
 「ACTには保険診療点数がないので、病院の経営上は不利。しかし、ACTの活用によって県や国の精神疾患に対する医療費の総額は、入院中心の場合よりも安くなる。一方、ACTを利用すると入院に代わって通院による治療の回数が増えて一人あたりの治療費が高くなるので、それに対して監査が入り、病院の経営が成り立たなくなる、という問題がある。また、現在対応できる人数が限られているので、今後「にも包括」が富山で具体化されることで、もう少し自分たちが対応できる人数が増えるのではないか、と考えている。それに向けて声を上げることが大切だと思う」。
 「第4回の話し手の惣万佳代子さんは、私の地元の中学校の後輩だが、高齢者も障害者も子どもも同じ場所でケアできる仕組みとして『このゆびとーまれ』を日本で初めてたちあげて、それが制度化されるまで頑張った。私はまだもう少し若い頃に、精神疾患をもつ人たちが地域で暮らせるようになることを願ってACTを始めたけれども、残念ながら、そのことが今でもなかなか実現できないでいるが、そうした人たちが誰でも地域で当たり前に生きられるようにしていくことが大切だと思っている」。

 
 別の参加者からは、「サ高住」で暮らしていた母親の認知症が進んだときに、施設のケアマネから、「もはや介護の問題ではなく、医療が必要だから病院へ移ってほしい」と言われて、不本意ながら地元の総合病院の精神科病の閉鎖病棟に入ることになり、そこで薬で大人しくされて、最後は老人病院で亡くなったことが語られた。そのように、「にも包括」とは正反対に、精神科病棟が認知症の高齢者の「収容施設」化している現状に対して、富山でACTを推進してきた吉本さんとしてはどうしたらいいと考えているか、という質問があった。
 その質問に対して、吉本さんは次のように答えた。
 「認知症になることと精神病になることとは、本当は全く次元の違うことだ。確かに、認知症の高齢者の興奮状態がひどいときに、ある特定の条件の下で精神科病院で対応することは必要だけれども。そうでなければ、病院以外の場所で十分対応できることのはずだ。結局、高齢者施設では対応できなくなってそこから精神科病院に移った後で戻る場所や筋道がちゃんと確立されていないというか、施設と病院の連携をどうするかということではないか。ただ、ACTは体が元気な人を対象にしていて必ずしも万能ではないので、そのようなACTの限界を超えるような仕組みが必要だろうが、そこをどうするかが難しいところだと思っている」。
 
 また、第1回の「フリートーク」では、ある参加者から、「私は高岡市でケアマネをやっていて、アルコールやギャンブル依存症の人たちを担当しているが、そこでいろいろな問題が連続で起きて困っていて、ACTのような仕組みが私の地域にもあればいいと思って今日の話を聞いていた。このACTの活動が広まることを強く願っている」という発言もあった。
 
 「フリートーク」の最後に、第3回と第4回の話し手の平井誠一さんから、次のような質問と発言があった。
 「私は自立生活支援センター富山を営んでいるが、そこの利用者の中には、身体障害者か知的障害者かに関係なくこだわりの強い人がいて、相談活動をするのがとても大変なのだが、そうした人たちに対応するポイントはどんなことかとよく思う。障害者は、『身体』、『精神』、『知的』、『難病』の4障害に分けられているが、相談者の中に重複障害の人も多くなってきている」。
 「私が手術で入院して退院するときに、担当のケアマネがいないと退院できないということを言われて、慌ててケアマネを探したのだが、自分のような障害者の問題を包括的に考えられるケアマネがなかなかいなくて困った。それには、制度の問題とスタッフの在り方など、いくつもの課題が重なっていると考えている。この後、7月と9月の2回にわたって話す機会があるので、その時にもっと詳しく話したいと思っている」。
 平井さんのその質問と発言に対して、吉本さんから以下のようにコメントがあった。
 「こだわりの強い人に対するのは、精神科医でも難渋している。強迫症状なのかどうかは分からないが、基本はまず話を聞いてあげること。『この人は私の話を聞いてくれる人だ』と認識するまで我慢することが大切で、最後まで話をちゃんと聞いてあげるとそれで気が済んで、次からは話が短くなることが多い。逆に途中で相手の話を打ち切ると、また始めから聞くことになって、もっと時間がかかるし、問題が解決できなくなる」。
 「ご指摘のケアマネの問題だが、現在の医療・福祉の仕組みは『完成形』ではないので、おかしなところはおかしいと声をあげていくことが大切だ。行政機関の役人は机上で制度を考えていて、実際に起きる様々な問題を検討していない。『急がば回れ』という気持ちで考えるしかないのではないか。平井さんも僕も70歳を超えているから、そんなに先はないけれど、焦ってみてもしょうがないかなという風に思っている」。

 

第1回の連続講座の締めくくりとして
 
 最後に、第1回の進行役は以下のような発言で集いを締めくくった。
 「国がつくっている制度は一見いいものに見えるものがあるが、実際に動くスタッフが不十分だったり、予算が不足したりして、実際には必ずしもそうなっていない。そうした中で、吉本さんが富山で進めてきたACTの営みは、精神障害のある人も地域で当たり前に暮らしていけるような社会を求めるものだと思うが、それは、もちろん高齢者も含めてどんな人にもあてはまることのはずだ。
 吉本さんも言うように、みんなで声を上げていくことはとても大事だと思うので、今日の集いで吉本さんから指摘された問題を、今後もまた皆さんと一緒に考えていきたい」。

吉本さんに質問する平井さん

会場は満席

 

2025/06/04

25年度企画 オープニング

 

 2025年度企画の「オープニング」の 「戦後80年バトンをつなぐ  未来につなぎたいもの」では、劇作家・演出家で社会批評家の菅孝行さんをスピーカーに迎えました。
 今回、菅孝行さんは、17世紀の「30年戦争」後に始まった国民国家を単位とする近代世界の枠組み自体が揺らいでいるという大きな視野に立って、日本の戦後の社会運動の軌跡から現在の私・たちが何を受け継ぎ、何を未来へと手渡すかをめぐって語りながら、そうした過去の闘いの中で生み出された人々の相互扶助や自治の経験を日本社会の中で生き難い人たちを〈歓待〉するアジールを生み出すことへとつなげることが求められているはずだ、と強く訴えていました。
 菅孝行さんの話の後、休憩をはさんで、約1時間、菅さんと会場の参加者の間で自由に語り合う「フリートーク」を行いました。
  (「オープニング」での菅さんの話の概要については、レジュメ参照)
 

※ 菅さんに富山に来ていただいたのは、
 2018年「米騒動100年プロジェクト SCENE7」
 2019年「TALK & DISCUSSION 私の「戦後史」につづき、今回のオープニングは3回目です。

大いに語る菅さん

会場

 

 

フリートーク
 
 「フリートーク」では、25年度企画の第2回・第3回のスピーカーの「自立生活支援センター」の平井誠一さんから、次のような発言がありました。
 「地域で生きる障害者に介護者を派遣する制度がなかったので、70年代の障害者解放運動ではそれを要求する運動を展開して、介護人派遣制度も含めていくつもの制度を獲得してきた。しかし、現在、そうした闘いの歴史がきちんと継承されていないことで、逆に制度がすでにあること自体が、障害者の運動をさらに進める上での障壁になっているように思う。今日の菅さんの話を手掛かりにして、今後の新しい運動のあり方を考え合いたい。」
 また、別の参加者からは、「この数年間、コロナ禍で人々が交流できなかったことが、社会運動の現状に大きく影響しているのではないか」という意見もありました。
 今後、「フリートーク」での論議も含めて「オープニング」での話をパンフレットにする予定です。

 

菅さんと平井さん

参加者からの発言

連続講座:スケジュール

  

1回 6月15日(日) 吉本博昭さん     306号室
ACT地域精神医療を推進して 
2回 7月13日(日) 平井誠一さん Part1  305号室
自立生活支援センターを開設して 
3回 9月14日(日) 平井誠一さん Part2  305号室
若い人たちに伝えたいこと
4回 10月12日(日) 惣万佳代子さん     305号室
若い人たちに伝えたいこと
5回 11月16日(日)             305号室
再び話し手のみなさんに集まってもらい
「バトンをつなぐ―未来につなぎたいもの」
について語りあいます。

 


場所:サンフォルテ富山市湊入船町6-7
時間:午後1 時半~ 4 時参加費+資料代1000 円

 

 

今回お招きする三人は、ずいぶん前になりますが2012年の私・たちの企画でお招きしました。

 2012年11月18日 ラウンドテーブル: 「滑川『一家孤立死』事件につまづく 私たちの眼/耳は 何を視て/聴いているのか?

 

「すべての生の無条件の肯定」を

 

 2018 年開催の「米騒動100 年プロジェクト」 から産み出された「高齢者生存組合」は、高齢者が 抱えている〈生きがたさ)からの解放を求め、相互 の結びあいの力で社会と向き合う生存組合です。

 1970 年、アメリカでグレイパンサーを名乗る運 動体がひろがりました。
全米で6 万人、130 のネットワークにひろがっ たグレーパンサーは、エイジズム(年齢差別)からの 解放をかかげ、社会を変えようとしてきました。彼 ・彼女らは「老人としての誇り」を高らかに謳い、 「年をとることに価値を見いだす社会」を目指しま した。彼・彼女らの活動や理念は、今のこの困難な 時代だからこそ、あらためて見直すべきことだと考 えています。

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