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戦後80年 私・たちの見解
今年は「戦後80年」と言われています。直接の戦争体験者はすでに高齢になり、少なくなりました。日本の加害責任(戦争責任・戦後責任・戦後発生責任)を問うよりも、高齢になった日本人の戦争犠牲者の声を聞けるうちに聞いておこう、ということに主眼を置いた報道が目立つように思います。
2015年、「戦後70年」には、当時の安倍首相が「首相談話」を発することを巡って、「市民」運動の側が警戒し、「村山談話」を踏襲するよう要求しました。しかし、私・たちは、「首相談話」を発するという「反省」のスタイルでは、「反省-究明-謝罪-補償」を求めるアジアからの声に真摯に応えたことにならない。「首相談話」というスタイルそのものが、「摩擦」を避けるための外交上の「配慮」に過ぎないのだから、その中身に注文を付けることに拘泥したくない。それよりも、「アジア出自の列島住民と共に、アジアに開かれた列島社会を創出することで、アジアからの声に応えるのだ。私・たちは、その路を遠くまでゆく」ということを「列島を宰領する国家に告知する」というスタイルで表現しました。
翻って、「戦後80年」はどうか。二つの思いが去来します。
ひとつには、「戦後70年」の「告知」の中で、「その路を遠くまでゆく」と表明したことが、私・たちとして、この10年でどこまでできたのか、という苦い思いです。
脱植民地化のスタート地点に立つには、沖縄の米軍基地や日米安保体制、国籍条項や入管体制等、脱植民地化を回避し戦争責任・戦後責任を不問に付すような制度に対し明確にNOの声を突きつけるべきだし、オールドカマーやニューカマーに対する植民地支配の歴史の上に立つ自らの優越意識を恥じ、苦闘しながら対等な関係を築いていく実践を重ねるべきでした。しかし、私・たちは、そのようにできませんでした。その意味でこの10年間は「空白」に近いものでした。
私・たちの実態は、2018年の「〈米騒動〉100年」プロジェクトに全力投球して以降、メンバーの異変・闘病など、「生・老・病・死」に関わる大波に何度も洗われ、浸食されました。思えば、なんとか「私・たちはここにいるぞ」と旗を掲げることで精一杯の日々を過ごしてきたような気がします。
もう一つの思い。それは、「戦後何十年」という区切り方そのものが、結局は国家の側に立った物言いに過ぎない。それに付き合う必要はあるのか、という思いです。民衆の側は、この「戦後80年」間を、必死に生きてきたはずです。その時々でそれぞれが何を望みどのように過ごしてきたのか、そちらの方が、よほど大切ではないか。
「じゃなかしゃばばほしかよ」――これは、アジア太平洋地域を中心に国境を越えて人々が連携し21世紀の未来を創造することを目指した「ピープルズ・プラン21世紀(PP21)」運動の中、1989年の水俣での総括会議で目指すべきオルタナティブな社会について論議している際に、水俣の浜元二徳さんがポツリと発した言葉であり、参加者の誰もが共感した言葉だと言います。隣近所や肉親や労働現場の関係等いろんなしがらみから逃れられないこの「しゃば」で、もがきながら生きてきた民衆が目指す今のようでない「しゃば」には、共に生きたいと願うすべての存在が入っている。世話を焼き合う煩わしいこの「しゃば」を、国籍も肌の色も関係なく、世界のどこにいようと、共に生きようとする者たちみんなで欲していく。そんな意味だと思います。
1989年の民衆の望みと「戦後何十年」と国家が区切る暦とは、全く関係ありません。国家の暦とは別に、民衆の未来に向けた暦があると思います。
これらの思いを抱えながら、それでも、「戦後70年」のときは、気張って発言した私・たちが、あえて「戦後80年」に対する「見解」を発するならどう表すか。下記の「「恥知らずたち」への恥ずかしさの中で、改めて戦後80年を問う」という文章が、それにあたります。そして、「戦後70年」当時「告知」を掲載した「25時行動委員会・富山」の「通信3」と「通信4」も下記に再録しました。
戦後70年と戦後80年を並べるのは、今回の「戦後80年」に対する見解が、「告知」を発してから10年、ある意味では「空白」の時を、別の意味ではメンバー相互の「個体としての生」の支え合いの時を経た後に発するならば、こうなる、という意味を込めたものであることを、申し添えたいからです。
「戦後70年」の「告知」は、時代に挑むように力んで書いていますが、今回はそういうわけではありません。10年前よりは確実に齢を重ねた私・たちです。確かに肩の力は少し抜けましたが、今後も、拳を胸に引きつけて、時代に挑むファイティングポーズだけはとり続けたいと思っています。
戦後80年の私・たちの見解
戦後70年 通信3
「私・たちの告知-列島を宰領する国家への」(最終版)
戦後70年 通信4
「私・たちの告知-列島を宰領する国家への」(最終版)へ の〈後註〉
2025年4月28日