衆議院選挙にあたって 私たちのスタンス
「議員諸君、候補者諸君、ミンナ消えろ、一人も残るな」
2017年10月
25時行動委員会
私・たちは、みんな〈生(生きること)〉の当事者だ。「政変劇」に浮足立つすべての政党に対峙して、〈生〉の当事者の〈社会運動〉勢力を創出しよう!
全ての〈生〉の当事者は、自らの〈生〉の全重量をかけるに値する〈社会運動〉勢力の形成にむけて、列島のいたるところに〈生の当事者評議会〉を創りだそう!
「敗戦70年:私・たちの告知 -この列島を宰領する国家への」
2015年7月
25時行動委員会
「わが祖父たちの奪ったもの、
わが兄弟たちの掠めたもの、
ついに奪いえず、掠めえなかったもの」
(中村稔「器物-4 高麗」)
アジア・太平洋戦争敗戦から70年、日本を生きる私たち、「わが祖父たち」に連なる私たちは、アジアにおいて「祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」がなんであったのか・なんであり続けているのかを、なお明かしえないでいる。そのことによって、歴史の闇がなお未開のままに封じこまれている。私たちを宰領する国家は、そのことを忘れ果てたかのように、この70年にいたる時間をアメリカの巨大な傘の下「経済(成長を至上とする)大国」という時間として現出させてきたし、今もなおその時間の更新への野望を捨てきれず、さらにはそれをかっての「帝国」の夢の再生で裏打ちできるかのような幻想に囚われ続けている。
アジア・太平洋戦争敗戦から45年余の後に、「冷戦」の綻びをぬって「ついに奪いえず、掠めえなかったもの」を抱き続ける長い沈黙の果てから、「歴史の闇」をくぐって、「わが祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」を償うことを求めるアジアからの〈声〉が立ち上がってくる。そして敗戦から70年の後においてもなお、「祖父たち」に連なって日本を生きる私たちに、「あなた方はどうするのか、あなた方を宰領する国家をどうするのか」と〈問い〉続けている。私たちは、その〈声〉にうながされ、「歴史の闇」に通底する私たちの内なる闇から解き放たれることに手をかけながら、なお私たちを宰領する国家をしてその〈声〉に向きあい応答させることができていない。
「わが祖父たちの奪ったもの、
わが兄弟たちの掠めたもの、
ついに奪いえず、掠めえなかったもの」
アジア・太平洋戦争敗戦から45年余の時間の後に、綻びながらなお「冷戦」下にあるアジアから立ち上がってきた〈声〉にうながされ、私たちは、とりかえしのつかないことをどうとりかえすのか、「わが祖父たち」のおかした「罪」に覚えるやけつくような「羞恥」をどうするのかという問いの前に、私たち自身を立たせようとする。そのことで私たちは、私たち自身を、「わが祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」の上に成るこの日本を、再審しようと身もだえしながら、70年後にもなお、私たちを宰領する国家にその「奪」い・「掠めた」ことの始原から帰結にいたる「責任」を果たすことを迫ることができておらず、そのことで私たち自身がなにを喪ってきたかを突きつけることができないまま、アジアと出会い損ねている。
アジア・太平洋戦争から70年、私・たちは、私・たちが覚える「羞恥」を「羞恥」として据え、私・たちの「ついに奪いえず」・「掠めえない」ものがなんであるのかを〈声〉にする。列島を宰領する国家が「わが祖父たち」が「奪」い・「掠めた」ことの「反省-究明-謝罪-補償」を果たさず、古来からの最大の「他者」であるアジアを喪い続けるならば、私たちの〈生〉の根が枯れていくことを、そのことを肯んじない私・たちはこの列島の「住民」として、国家がなお「住民」として遇しきれていないアジア出自の列島の住民とともに、列島をアジアに開き、〈共にアジアになる〉こと、米中複合覇権からの〈アジアの解放〉へ向けて、私たちのではなく国家の根を枯らす路、列島に存在する全ての住民が「共和」する列島社会を創出するにいたる路を遠くまで行くことを、列島を宰領する国家に告知する。



