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「米騒動100年」プレ企画  ニューズレター

米騒動から100年は〈68年〉から50年でもある…

企画:〈68年〉から50年

プレ企画「〈68〉年から50年」

〈68〉年に慎重に近づこうとする若い研究者と〈68〉年の事後の生をどこまでも生き続ける者と〈68〉年のエコーを生きようとする者と…ごった煮で過ごした希有な時間

Part 1 「〈68〉年―語る・語らない・語りえないのあいだ」

列車が来ない

1月13日、当日は前夜からの大雪で風景が一変するほどの積雪。大阪からJRで富山駅に到着するはずの小杉亮子さんの身を案ずる。悪い予感は的中。福井辺りで列車が立ち往生し、2時間の遅れ。予定では一緒に昼食でも採りながら打ち合わせをと思っていたのだが、改札で小杉さんを迎えたときには、もうPart1予定開始時刻を過ぎていた。

長時間列車の中でかんづめ状態だった小杉さんには大変申し訳なかったが、挨拶もそこそこに、立ち止まることなく会場へお連れする。会場到着後は、簡単な挨拶と紹介を経て、すぐに話を始めてもらう。結局、スケジュールを詰めて、40分遅れで小杉さんに話し始めてもらう。小杉さんには、大変なハードワークを強いてしまうことになった。

〈68〉年を対象とすることの難しさ

『無数の問いの噴出の時代』とは、小杉さんも企画に関わった国立歴史民俗博物館の〈68〉年の特別展における、主催者側の〈68〉年「評」である。しかし、この〈68〉年は、観察や評論や研究の対象にすることを、易々とは受け入れない。〈68〉年から噴出される無数の「問い」は、乱反射し、アプローチを試みる者すべてに突き刺さる。つまり、『無数の問いの噴出』は『~の時代』と括られることを、すぐさま問い返してしまうのだ。主催者はなぜ〈68〉年をショーケースに入れて括ることができるのか。また、括られた物を観に来た者たちを、問い返してしまう。なぜあなたは、〈68〉年は括られるものだという前提で、大人しく観客として振る舞っているのか。

小杉さんの真摯で謙虚な姿勢

そんな〈68〉年の大学闘争とは何であったのかについて、研究者として社会学的に「問い」を立てているのが、小杉さんである。それも東大の大学闘争を担った当事者たちへのインタビューを通してアプローチしているということである。ダイジョウブカ? インタビューされる側は、「今のあなたの生き方は、あの頃あなたが発していた『問い』を貫いているのか」、つまり「あなたはその後をどう生きたのか」を、インタビューを受けることで、常にセットで問われてしまう。「あの頃はこうだった」と過去のこととして語るなら、その頃と現在の在り方との整合性、不整合ならばそれをどう処理しているのかが、即座に問われることになる。
そして、その時同時に、当時のことを語らせようとする側のスタンスも問われるはずである。大学闘争について研究者として社会学的な「問い」を立てているあなたは、「大学解体」や「自己否定」についてはどのようなスタンスを取っているのか。 つまり〈68年〉のアフターライブズを自分はどう生きているのかを語ることを抜きにして、〈68年〉は語りえない。そして、自分は〈68年〉のアフターライブズをどう生きているのかをさらけ出すことを抜きにして、相手には問えない。若い研究者は、この難題にどう立ち向かっているのか。
これは、オフレコなのかもしれないが、小杉さんが〈68〉年に興味を持ったきっかけは、小杉さんの父親が全共闘に特別な憎しみを抱いていることを知ったことだという。厳格な親の家庭に育った小杉さんは、時に親の教育方針について反発や疑問を感じ、父親が特別な感情を抱く全共闘運動を担ったのは、どんな人たちだったのだろうと思いを馳せることになる。これが、全共闘運動を研究対象にする原点になったのだそうだ。この「民青」的スタンスに違和感を感じ、懐疑的になりながらも、そのスタンスを踏まえつつ、慎重な足取りで全共闘運動にそろりそろりとアプローチする小杉さんの迫り方が、先の難題にまともにぶつからずに〈68〉年に近付ける小杉さんなりの術なのだろう。そのことを、さらけ出して話してくれる小杉さんのけれんみのない話しぶり。そこに、インタビュアーとしての小杉さんの佇まいを感じた。
そのような小杉さんだからこそ、東大闘争を担った者たちへのインタビューから、「語る、語らない、語りえないのあいだ」があるということに着目することができた。そして、60年代を通じて、既存の「戦略的政治」とせめぎ合いながら、自らの生き方の問い直し、あるいは自分・たちの関係性の問い直しから始めようとする「予示的政治」が生まれてきたという捉え方ができたのではないか。
研究の方向性を太い一筆書きでぎゅっと表現してくれた小杉さんの研究者としての真摯で謙虚な姿勢には、好感が持てた。

ユニークなアプローチが開く可能性

「決意主義」「決戦主義」ではなく、また、その後にやってくる「消費主義」のように資本の側に回収されることのない「行動的快楽主義」(=「自分が走ることで世界が変わる」といった実感や、窒息させられそうな閉鎖的な壁に身体ごとぶつかることで突破することができるといった快感)とでもいうようなものもまた、全共闘運動の推進力の大きな要素だったのではないかと思う。「予示的政治」とともに、この「行動的快楽主義」の要素を現在の運動の中にどう取り戻すかということが、これからの運動の大きな課題になると思う。東大闘争にも勿論あるが、この「行動的快楽主義」は、日大や、それらの後に続いた全国の大学闘争の中に色濃くある。インタビューというアプローチの仕方は、このことに迫れる可能性を、大いに持っていると思う。小杉さんの今後の仕事に大いに期待したい。

 

Part 2 「『〈68〉年から50年の〈後〉に』―故旧忘れ得べき」物語

〈68〉年のアフター・ライブズを生きるものの矜持

会場を「生・労働・運動ネット」の事務所に移して行ったPart2。そこでは、わたし・たちのメンバーである埴野謙二さんの〈68〉年のアフター・ライブズを生き続ける矜持に触れた。濃密な時間だった。埴野さんは、1968年にはすでに大学の教官であり、学生として運動を担ったわけではない。そしてもちろんどこかの政治党派に属していたわけでもない。しかし、50年代終わりから70年代前半までの広い意味での〈68〉年の「問い」を、生の中心に据えて激しく生きてきた人である。
〈68〉年を直接体験していないわたし・たちの元へ、埴野謙二さんを通して〈68〉年はエコーしてきた。〈68年〉のエコーに触れ、エコーを生きようとしたわたし・たちにとって、〈68年〉は常に自分を問い返すベクトルであり、その時々の自分が何かをやろうと踏み出す時の〈参照点〉となっている。
この日の趣向は、かなり凝っていた。〈68年〉を背景にしたり、小道具にしたり、物語の通奏低音にしたりした小説や歌の断片がコラージュされた、本人曰く「電動紙芝居」のような音楽と映像が流れ、DJ埴野の解説が入る。しかもボリュームたっぷりに、である。
そして、最後には、自身が身を乗り出し、直接呼びかける。呼びかける相手は「かつて60年の、〈68〉年の戦場を、熱い身体で駆け抜けようとした諸君」である。「〈仮装〉「高齢者生存組合全国評議会」からの〈招待状〉」では、「「3・11/12」後の反原発運動や2015年の「安保法制反対運動」の行動は、「〈68〉年からの〈後〉」の時の中で、諸君が身を立て、名を上げることで果たしてきた列島社会を分断する罪多い営みに対する、どのような真摯な反省の上に成り立っていたのか?」というように〈68〉年的「問い」で、正面から突き刺す。そして、「〈仮装〉「高齢者生存組合全国評議会言」では、さらに煽る。「戦友諸君、老いたる兄弟姉妹諸君!これまでに獲得してきたすべてを〈武器〉にかえ、我が身を包摂する生の捕獲システムと闘え!…高齢者生存組合全国評議会とともに一斉蜂起せよ!」… 〈68〉年を抱いてできるだけ遠くまで行けた人は誰なのか?―埴野さんはそんなことを考えるという。

〈68〉年のエコーとしての集団

埴野さんは、小杉さんの言い方を借りれば、「戦略的政治」を追及する政治党派の成り立ち方に強い違和感を持ち、「予示的政治」を今ここに実現しつつ水平的に結び合う集団を作ろうとした。そして、埴野さんを通して〈68年〉のエコーに触れ、自分もまたエコーを生きようとしたわたし・たちが、それに呼応した。
しかし、〈68〉年から50年、〈68年〉のエコーを生きていると後生大事に言っていても、その意味はどんどん薄れてくる。現在、どういう「問い」として〈68年〉の「問い」をもちかえているのか、が激しく問われる。
米騒動からの50年後のエコーとしての〈68〉年、さらにそこから50年後の現在。感受してきた通奏低音のエコーを、どう具現させるのか。―「生・労働・運動ネット」は、米騒動100年の連続企画を通してその先に〈生存組合〉を目指す。

2018年3月

■プレ企画に参加して              小杉亮子    (レジュメから 抜粋) 

 最後に、大阪に戻るサンダーバードのなかでいろいろと思い巡らしたこと、大阪に帰ってから考えたことを書いて、終わりたい。
 わたしは、1960年代後半の学生運動、とくに東大闘争について研究をしてきた。研究をするなかで—これは参加者への聞き取り調査に同走してくださった福岡安則先生が言われていたことでもあるのだが—当時の学園闘争について考えるならば〈その後〉が大事なのだと感じてきた。東大闘争について回想を始めると語りが止まらない、積極的に参加していなかったとしてもなんらかのこだわりを感じてしまう、そうした当事者たちがいた。そしてなにより、東大闘争をなんらかの参照点や基準点としながらその後の長い時間を歩んでいる参加者たちがいた。
 本レジュメの内容に関わらせて言えば、東大闘争で全共闘派の学生たち(の一部)が模索していた予示的政治とは、自らが帯びる特権性や意図せずとも行使している権力を批判し、オルタナティブな望ましい関係性や集団のありかたを、自らがいま・この場で創出することを試みるものだった。東大闘争をくぐり抜け、予示的政治に影響を受けたならば、その後も、ときどきのいま・この場でどのように不正義や権力に対峙しているかを問わざるをえない。だからこそ、〈その後〉の歩み、生き方が問題になってくる。しかし、自らの生き方に一貫性を持たせながら、生活や労働のなかに見え隠れする権力や抑圧、不正義を批判し、さらに自らのありかたも変容させていくという、この課題に、誠実に取り組み続けることはどれほど困難だろう。こここそが、東大闘争を研究するなかでわたしが強く惹きつけられる部分であるし、同時に、自分だったらどうするだろう、自分はいま・この場でどのように生きているだろうかと、息が詰まるような重い問いかけを突きつけられていると感じる部分でもある。
 生・労働・運動ネット富山代表の埴野謙二さんは、今回の企画にメールで声をかけてくださったときに、60年代後半の大学闘争を学生としてではなく、教員として経験したと自己紹介をしてくれた。その「afterlives」として「私の現在そのものがある」とも書かれていた。それを読み、わたしは勝手にピンときたという感じがした。学園闘争で問われた自らのありようを問うということ、だからこそ〈その後〉が大事なのだということ、それを体現している人たちが富山にもいるのかもしれないと思った。
 実際に1月に富山を訪れ、第1部でわたしが話をさせていただいただけでなく、第2部では生・労働・運動ネット富山の事務所にお邪魔し、さらにみなさんとお話しする機会を持てた。富山大での埴野さんの講義、ネットの始まりは70年代以降埴野さんの講義に惹かれて集まった学生たちにあること、みなさんでやった養鶏場や生協、ラーメン屋、そのなかで各人がテーマを持っていろいろな運動や活動に出かけていること、そうした話を聞いた。それだけでなく、みなさんの食事をしながらの親密な会話、お互いの発言や間合いを尊重する耳のすましかた、そうしたものに接した。この時間をとおして、生・労働・運動ネット富山には、生活をともにしている者同士のような、平場の親密な関係性があること、そのなかで独特の言葉遣いと社会との切り結びかたが編み出され、共有されてきたこと、だけれどそこで閉じているのではなく、そこから外に出かけていく場であり、関係性なのだと思った。
 予示的政治の継続には困難が伴う。その困難さを少しでも乗り越えるやりかたのひとつに、信頼できる仲間と小集団を—大きな組織は、いずれ組織維持のためにヒエラルキーや妥協的判断が必要になるので適さないだろう—つくり、励まし合い、議論し合いながら暮らしていくことがあるというのは、東大闘争参加者のその後を見て感じたことだった。生・労働・運動ネット富山はまさにそうした小集団をつくって、予示的政治を実践してきた人たちなのではないか。わたしも企画に参加した国立歴史民俗博物館・「『1968年』 無数の問いの噴出の時代」展(2017年10月〜12月)の案内文にあった「この時代に噴出した「問い」はいまなお「現役」としての意味を持ち続けています」という言葉を受けて、第1部で埴野さんが、「無数の問いを現役たらしめているのは、なになのか」と問いかけられていたことは、強く印象に残った。現役たらしめているのは、反戦や公害、大学の役割といった問いをつくりだしている社会構造であるとともに、問いを問いかけ続けている各地の人びとなのだろう。歴博の案内文について話した埴野さんの念頭にあったのは、自分たちの営みなのではないかと、あの日事務所でみなさんと話しながら考えていた。
 富山に息づく〈68〉年の〈その後〉を見た。散会し、ひとり富山駅前のホテルの部屋に入ったときに感じていた興奮は、いまこれを書きながらも思い出せる。ネットのみなさんのこれまでの歩み、仲間たちとどのような生活と運動を営んできたのか、そうしたことはまだ十分に聞けていない。いつかまたゆっくりと、富山でいかに〈68〉年が生まれ、息づいてきたのか、そういう話を聞きに富山を訪れたいと考えている。

改訂版レジュメ  レジュメは、公開する都合で当日のレジュメを改訂しています ZINE・15に掲載されています。

「米騒動100年プロジェクト プレ企画 Part1でお話しいただいた小杉亮子さんが『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社 2018/5/15)を上梓されました。プレ企画でお話しいただいた内容(改訂版レジュメ)は、この本の一部になっています。ぜひ手に取って読んで見てください。
 また、出版を機に対談=小杉亮子×福岡安則 「東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために」が行われています。「読書人Web」を参照してください。

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