Jammers Net Concept
  

7月29日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求め、返答を聞きに行く

 施設長に会えるようにと事前に電話連絡をして、7月29日午後、申入に対する返答を聞きに富山リハビリテーションホームへ伺った。
 玄関の中でM事務員が待っていた。今日は中に入り、施設長に答えを聞けると思った・・・。

 施設長から指示されていたのか、M事務員は今日も中に入れてくれず、玄関先で対応した。施設長は利用者との応対で忙しく、直接答えることはできないので、M事務員が答えるという。

 

 M事務員は、施設長の返答を伝えた。

1 市民とともに「市民検証」をすることはできない。
2 富山市と富山保健所の指導の下で「検証」はすでに終わっている。
3 検証内容は個人情報に関わるので、内容を公開することはできない
と明確な返答があった。理由を聞くと私では答えられないというばかりであった。

 「検証」を市民とともにすること、「検証」内容を公開することが信頼を得ること、「検証」内容を公表している施設などがあることなど、今までの申入書の趣旨を再度伝えていると、老人ホームから二人の利用者と介助者が車で到着。玄関を通って中に消えていった。

 施設長は謝罪会見で信頼を回復したいと発言されていたのに、直接回答せず、理由も答えないというあり方は、社会的な責任を果たしていないのではないか。施設長に直接会えるようにすることがあなたの役割ではないか。M事務員は必ず伝えることを約束したが、必ず会えるようにするとは答えなかった。

7月27日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す

 一週間経っても連絡がないので、7月27日9時過ぎ、返事を聞きに富山リハビリテーションホームへ。M事務員が現れた。M事務員は一週間前の申入書は施設長と理事長に渡したが、施設長は忙しく、申入に対してどうするのか、決めていないので、返事ができないという。
 下記の申入書を渡した。水曜日の午後来るので、その時は返事をいただきたいと申し入れてきた。

申入書

7月20日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す

 7月20日、9時過ぎ、富山リハビリテーションホームの玄関先で施設長を待っていましたが、施設長は忙しく玄関には現れなかった。
 M事務員が現れ、事務員に、申入書の趣旨と一週間以内に申入に対しての返事をして欲しいこを話し、下記の申入書を渡した。

申入書

7月12日 WALKING/SPEAKING
「富山リハビリテーションホーム」での
コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め! 
「市民検証」への参加の呼びかける

2020/07/14

 Withコロナ下での新しい街頭行動としてWALKING/SPEAKINGを行った。当日は小雨模様の中、富山城址公園から出て「富山リハビテーションホーム」前でしっかり話し、富山市の繁華街である総曲輪通りやグランドプラザをぐるっと歩いて回ってきた。
 施設内でコロナ死した高齢者たちの最期の声「わたしを生きさせよ」に応答したいという願いで始めたWALKING / SPEAKINGであるから、拡声器よりも肉声で語りかける方がふさわしいだろうと、以下のようなやり方を選んだ。
 歩道を、間隔を空けて、横断幕(ボード)とバナーを掲げながらゆっくりゆっくり歩く。声を揃えるのは、横断幕の言葉「『富山リハビテーションホーム』でのコロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め!」だけ。あとは、参加者がそれぞれ思い思いに、メガホンも使わず、語りながら歩く。
 実にシンプルである。しかし、シンプルであるからこその新鮮さもあった。
 スピーカーが乗った街宣車を使うデモとは違うので、スケール感はないが、小回りが効いて、アーケード街にも商業施設の広場にも、ひょいひょいと入り込んで行ける。広場では、小さめの横断幕(ボード)を見て興味をもってくれた人たち何人かと、個別に話し込むこともできた。大音響のものものしさがない分、「何ですか?どういう意味ですか?」と気軽に話しかけてくる人もいるのだ。
 そこで話し込んだうちの一人、介護施設でヘルパーを長い間していたという女性は、「富山リハビテーションホームの内部事情や介護保険のインチキぶりを、自分はみ~んな知っている。あなたたちの言うとおりだ。」と言ってくれた。うれしい出会いである。
 興味をもってくれた人には、わたし・たちがこれからやろうとしている「市民検証」への参加を呼びかける文章(別に掲載)と、高齢者生存組合のリーフを手渡した。
 もちろんこれはささやかな一歩だが、「富山リハビテーションホーム」での出来事を、「一事例」として早期に閉じてしまおうとする施設側や富山市に対し、「この出来事を、死者たちの最期の声『わたしを生きさせよ』に応答し、施設のあり方、介護保険制度のあり方、「介護の社会化」のあり方等をどうすべきかを問い返すために常に立ち戻るべき『場所』として、永遠に開き続けることこそ必要なのだ」と迫ることの始まりにしたい

城趾公園で 「市民検証」を
富山リハビリテーションホームで 「高齢者の声を聞け」
グランドプラザで 「市民検証」を
総曲輪通りで 「市民検証」を

2020/07/12

わたし・たちは、なぜ「市民検証」を行うか

 介護老人保健施設「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を「検証」するとはどういうことか。
 「再発防止」に向け、施設のあり方がどうであったかを問う「検証」は、徹底してなされねばならない。また、施設を指導する立場の行政のあり方を問う「検証」も、同様になされねばならない。これらに、市民の厳しい目が向けられるべきであることは、言うまでもない。
 しかし、それだけでことはすまない。そのような「検証」を、どんなに精緻に進めても、それは、今回の出来事を、今後の「教訓」とするための「一事例」へと処理することに変わりはないからだ。わたし・たちはむしろ、今回の出来事を手慣れた手つきで一事例として処理し、記号化し、閉じてしまうことに、強い違和感を禁じ得ない。
 それでは、「富山リハビリテーションホーム」の施設内でコロナ禍により死の淵に追いやられた高齢者たちが、苦しみの中であえぎあえぎ「わたしを生きさせよ」と表出した声に、応じたことにはならないのだ。その表出された声に促されて行うもう一つの「検証」といったものが、わたし・たち市民によってなされなければならないのではないか。
 もちろん、死者たちの声をわたし・たちが今さら直接聞き取ることはできない。
 しかし、苦しみの中で「わたしを生きさせよ」と表出し続けたであろう声に、「あなたに生きていてほしい」と応答することは、社会的にどうしたら可能であったのか、また可能であるのか、それを追求することに向けて、この出来事を切開し、何度でも「検証」すべきではないか、とわたし・たちは考える。
 身内の手で同施設に預けられたであろう高齢者たちが、事情を説明してもらえぬまま、突然、介護・医療のケアを放棄され、放置され、死の淵に追いやられた。そこで表出される言葉は、人との関係を求める切実な願い、生への意思表示ではなかったか。
 その言葉は、宛先のないままに宙をさまよわせてはならない。わたし・たちが、その宛先になり、「あなたに生きていてほしい」と応答すべきではないか。
 そのためには、名前を剥奪され、「報道事例76」などと記号化され、廃棄されたコロナ死者たちの同施設内での日々の過ごし方(ケアや医療を受けた実態、そのとき交わされた言葉や身振り、そしてケアされず放置されていたときの実態等)の「記録」を取り戻し、表出された言葉をそこから察することから始めるしかない。
 比喩的に言えば、それは、一人一人の死者の「顔」を眼前に並べることに等しい。一人一人の顔を見ているうちに、いつの間にか、見ている自分が死者たちに見返されていることに気付くだろう。
 死者たちのまなざしにさらされる中で、呼びかけてくる声を聞き、その呼びかけに応答しようとする。それは、施設内でコロナ死した死者たちと、彼ら/彼女らを苦しめるもとになった、折り重なり、もつれ合った課題を共有することに等しい。
 様々なものが課題として、問いとして、浮かび上がってくるだろう。――「介護の社会化」は今では「介護の施設化」に等しいのではないか、老健施設の運営は様々な厚労省の加算政策により著しく歪められており、そのことが入所者を苦しめているのではないか、そして、コロナ死者に対する差別、とりわけ高齢者の生に対する差別が、この間、この社会で一層露わになっていないか、等々。
 わたし・たちは、同施設内でコロナ禍で亡くなった者たちの最期のあえぎ声「わたし を生きさせよ」に「あなたに生きていてほしい」と応ずることこそが、わたし・たちの「市民検証」であると考える。それは、今回「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を、今後のための「一事例」として閉じてしまうのでなく、常に問いを発し続ける場として、死者たちと共有し、開いていくための営みである。

「高齢者生存組合」立ち上げのご報告と企画のご案内

2020/06/28

 

私・たちは、一昨年の「米騒動100年プロジェクト」以来の念願だった「高齢者生存組合」の立ち上げに、ようやくたどり着くことができました。同封した簡単なリーフレットをご覧ください。謹んでここに、ご報告申し上げます。

 さて、今は一段落していますが、富山県のコロナ感染者数及び死者数の特徴は、富山市民病院内と介護施設「富山リハビテーションホーム」内の二つのクラスター感染が突出していたことでした。このことは、ニュース等で県内のみならず、県外の皆さんのお耳にも届いているかもしれません。
 私・たちが最も胸を痛めているのは、高齢者や基礎疾患を抱える者が、コロナ感染死の危険に、よりさらされてしまうということです。とりわけ、「富山リハビテーションホーム」での施設内感染(入所者と職員合わせて59人が感染、15人の入所者が死亡)は、悲惨なものでした。
 施設に預けられ、感染の事情が分からないままに半ば放置され、誰にも看取られることなく死んだ入所者たちの無念を思うと、筆舌に耐えません。そして、その「無念」を胸に刻もうとせず、姿をくらましていた施設責任者の「無残」なあり方、それを糾さない行政のあり方、これらに対する怒りがこみ上げてきます。
 しかし、その一方で、コロナ感染死者の名前を公表せず、死者数としてカウントするのみで、人の人生を「未完」のまま抹消してしまうこの社会、肉親の晩年を施設に委ね、生殺与奪までをも施設に委ねることになってしまったこの社会を構成しているのは、私・たち自身でもあります。
 「介護の社会化」は、高齢者の生殺与奪を「社会」としての介護施設に委ねることではないはずです。「介護の社会化」を、高齢当事者の側から考え、問題にしていくことが、今、求められていると思います。

 

私・たちは、「高齢者生存組合」として、来る7月12日(日)、ウィズコロナ下の新しいデモンストレーション「WALKING/SPEAKING」を行います。
多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

「市民検証」への参加を呼びかけます

WALKING/SPEAKING
「『富山リハビリテーションホーム』での
コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め

日時: 2020年7月12日(日) PM14:00~15:00
場所: 富山城址公園南東隅(ANAクラウンプラザホテル付近)集合

高齢者生存組合リーフ表
高齢者生存組合リーフ裏  
  高齢者生存組合 ご挨拶

 

〈高齢者生存組合〉見参!!

♪♪ 信じられるなにかと 愛し合えるなにか それだけあれば・・♪♪

一つ、人の命を もてあそび
 二つ、不埒な仕組みを たてにとり
  三つ、見捨てて 踏みにじる
   四つ、世の中 末も末
    五つ、行くぞ我ら老爺老婆軍団
     六つ、向かうは この世の大転覆
       津々浦々に名が響く〈高齢者生存組合〉
         批判・糾弾くわえて 仕損じなし

♪♪たたかえるなにかと 守りぬくなにか それだけあれば・・♪♪

〈 高齢者生存組合〉口上!!

お控えなすって
手前 生まれは「生・労働・運動ネット」です。・が煩わしいとのご批判もごぜえますが
こればっかりははずせねえ、ふけーわけがごぜえましてどうか許してやってくだせーまし
手前・らは、「ジャナカシャバ」(『今のようではない世の中』)を求め続けてきた者の末裔
手前・らの掲げるは、〈すべての生の無条件の肯定を〉の旗
手前・らが創り出すのは、〈最終組合〉としての〈生存組合〉
お聞きわけくださってありがとうさんでごぜーます ご一統さん
へー〈最終組合〉たあ 何だとお訊ねですか
  一つにゃ、それは年寄りの命の最後のよりどころ
    一つにゃ、年寄りの最低はもとより最高必需の要求する者の集まり
      一つにゃ、それは終わりのない異議申し立て者の集まり

裏も表もごぜーません これが手前・らでごぜーます
ご一統の皆さん方 こうごよろしくおひきまわしくだせーますよう お願えいたしやす

「高齢者生存組合-約束事」

  • 組合は、自らを高齢者と認識し、高齢者の生きる権利を天下に向かって、主張せんとする者によって構成される。
  • 組合の活動は、自らを〈高齢者生存組合〉を名乗る者によって、進められる。
  • 組合の活動は、組合員の発議にもとづくが、『全員一致主義』を原則とはしない。(ヤリタイ者ガヤリ、ヤリタクナイ者ハ邪魔ヲシナイ。)
  • 組合は、そのネットワークの連絡場所を生・労働・運動ネット富山の事務所(富山市神通町3-5-3)におく。
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高齢者生存組合 ご挨拶
もうたくさんだ行進!
高齢者生存組合を!
とめるぞ!志賀も川内も!
ブラック企業 ゼロにしろ!