Jammers Net Concept
  

11月25日
 「インター・コロナ」社会の中で
   「高齢者生存組合」の再起動へと向かいたい

1.「高齢者生存組合」  〈生のサンジカ〉の今日的な姿形を目指す

 私・たち「高齢者生存組合」は、この社会の中で高齢者が否応なく負わされる多重の「生」の困難に共に立ち向かおうとする者たちの「結び=合い」・「組み=合い」でありたい、と考えている。
  一昨年の2018年は、日本史上最大の民衆騒動である1918年の『米騒動』からちょうど100年目の年であった。2018年の4月から10月にかけて、私・たちは「『米騒動』100年プロジェクト」を企画し、『米騒動』後の100年の民衆運動の歩みを、「全ての『生』の無条件の肯定」を求める民衆同士の「結び=合い」・「組み=合い」(私・たちはそれを〈生のサンジカ〉と呼んでいる)の軌跡としてたどり直すことを試みた。「100年プロジェクト」の最終回の集いでは、「ネオリベ攻撃」による私・たちの「生の保障」の破壊の中で、「生の再生産」領域が支配権力との攻防の大きな焦点となっていることを改めて確認したが、そうした状況に相応しい〈生のサンジカ〉の今日的な姿形としての「高齢者生存組合」がその場で提唱された。
 それ以降、私・たちは、構想のレベルを超えた姿形のあるものとして、「高齢者生存組合」を生み出すことに向けて手探りすることを重ねてきた。

2.コロナ禍の中で「無念の死」に至った者たちへの「応答」を試みる

 そうした模索や手探りの状態を超えて、私・たちが「高齢者生存組合」としてアクションへと踏み出す大きな契機となったのが、今年春、富山市内の老健施設「富山リハビリテーションホーム」(以下「リハビリホーム」と略)での新型コロナウイルス集団感染により多数の高齢者が死亡するという「出来事」だった。
 リハビリホームでは、当時66人の入居者中の41人、職員64人中の18人の計59人が感染するという全国的にも大規模なコロナクラスターが発生したが、途中で陰性に転じた1人の入居者も含めて新型コロナウイルスに感染した入居者の内の15人が死亡した。また、コロナに感染した職員の入院や「濃厚接触者」の職員の欠勤などによる圧倒的な介護職員の不足の中で、コロナ陰性の入居者の内の5人が持病の悪化等のために死亡している。
 すでに4月初めからリハビリホームでは入居者の発熱が多発しており、職員の間ではコロナではないかという不安の声が上がっていたにも関わらず、施設側がコロナクラスターの発生の可能性に目をふさぎ、施設内のコロナ感染者への必要な医療を事実上放棄し、感染症法で義務づけられている感染症発生の報告さえ行っていなかった。そのため、体調が悪化した入居者が4月17日に緊急搬送されて、入院先の病院でのPCR検査によって同施設での新型コロナ感染症の発生が初めて正式に確認されたときには、もはや容易には手が付けられないほどの規模で施設内でコロナクラスターが拡大していた。そのために入居者の入院や治療が大幅に遅れてしまったことが、リハビリホームで多くの高齢者が死亡したことの大きな背景としてある。
 医療・ケアを最後まで切実に求め続けていたはずのそれらの高齢者に思いを寄せるとともに、そうした「無念の死」を引き起こした者たちの責任の「不問」化への怒りや疑問から、私・たちは「高齢者生存組合」として、リハビリホームでの新型コロナ集団感染死をめぐる経緯・事実関係や、入居者の死に対する施設側の責任を明らかにすることに向けて、「市民検証」の取り組みに着手した。

 7月12日(日)に私・たちが企画した「WALKING/SPEAKING」では、「コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め!」と書いた横断幕を手に、リハビリホームの周辺や富山市中心部の歩道を歩きながら、今回の「出来事」についてそれぞれが思うことを肉声で訴えるとともに、「市民検証」への参加を訴えた。こうしたスタイルでの街頭アクションは私・たちとしても初めての試みだったが、通常のデモでは通ることのない富山市の繁華街の歩行者専用道路を歩きながら、ビラを手渡したり、その場にいた何人かの人たちと話し込むことができた。
 7月16日(木)、リハビリホームは、「施設でのコロナ集団感染は収まった」として「終息宣言」を発したが、それに対して、私たちは、「コロナ集団感染の終息は、今回の『出来事』の収束ではない」という思いから、7月下旬から8月初めにかけて数回に渡ってリハビリホームへの申し入れ行動を行った。その中で、私・たちは、施設側が市民とともに今回の「出来事」の検証を進めることや、リハビリホームでの「出来事」に対する施設側の内部調査の公開を求めた。しかし、結局、施設側は、「すでに市から指導を受けている」として、私・たちの要求を拒否した。
 それと併せて、私・たちは、「市民検証」の一環として、行政側の対応も含めてリハビリホームでの「出来事」をめぐる経緯を明らかにすることを求めて、7月15日(水)に富山市に対する公文書公開請求を行った。コロナクラスター発生による「介護崩壊」状態の中でそのことを言ってどれだけ意味があるかと思うのだが、富山市が今回の「出来事」に関して施設側に発した公文書の多くが、コロナクラスター発生後、入所者に対する職員数が定数を下回ったことへの改善を「勧告」するものだった。
 5月11日にリハビリホームは市に「事業改善計画書」を提出しているが、それは、あくまでも市が勧告する職員定数の改善に向けたものでしかなかった。また、5月28日に行われたリハビリホームでの「コロナ集団感染事例に係る合同検討会」の議事録や、その「検討会」を受けて6月5日に市が施設側に発した「指示書」も入手したが、いずれも今後の感染症発生の予防・改善を指導するというレベルに止まるものだった。
 そのように、「介護崩壊」状態にある施設に対してただ職員定数の改善を「勧告」するという杓子定規で硬直的な対応の一方で、施設側が感染症の発生の報告を行わなかったり、入居者の保護の義務を果たさないといった、施設で生活する高齢者の生命に関わる重大な違反に対して何の「指導」も行っていない、という市の福祉行政のいびつなあり方が、今回の公文書公開によって改めて明らかになったように感じている。

3.改めて「検証」に向けた〈試〉を続けたい

 現在、東京では連日100人~200人規模の新規感染者数が報告される一方で、政府は「経済の活性化」を掲げて多額の公的資金を投入して国内旅行や外食を奨励している。そのように、新型コロナウイルスの存在を前提として、コロナ感染症への対策と緩和策の両方が同時に実施されるという、「ポスト・コロナ」ならぬ「インター・コロナ」とでも言うべき状況の中に私・たちはいる。
 8月初めにリハビリホームが私・たちの要求を拒否して以降、私・たちは、「市民検証」の取り組みを中断してきたが、その際に、リハビリホームでの「出来事」が富山で急速に忘却されようとする中で、私・たちの「市民検証」がすでに政治的・社会的な意義を失ってしまっているのではないか、という懸念があった。また、拒否的な態度を取る施設側に対して、「無念の死」をとげた者たちへの「応答」を掲げ続けることは、死者たちの死を政治的に利用することになるのではないか、というためらいもあった。
 そうした私・たちの懸念やためらいを突き崩したのは、1つには、今年9月の富山市議会での富山市福祉保健部部長の、「リハビリホームでのコロナ集団感染の予見は困難であり、施設側の管理責任は問えない」という答弁であった。手続き通りに感染症発生の報告を行っていれば、死者の数をゼロか、少なくとももっと少なくできたはずの事態に対して、市議会という公的な場で施設側の管理責任を免責する発言を市側が行ったことに対して、私・たちとしてはそれをそのまま座視して済ますわけにはいかない、と強く感じている。
結局、そのように市が施設側の責任を免責しようとすることは、施設での「出来事」に対する市自身の責任や対応のあり方自体も不問に付そうとするものではないか、と私・たちは思わざるを得ない。

 それと併せて、私・たちが「高齢者生存組合」として今回の「出来事」をめぐる「検証」に改めて取り組むことを決意させたのは、札幌市保健福祉局が、札幌市の老健施設「茨戸アカシアハイツ」で発生したコロナクラスターに関する「検証報告書」を10月に発表したことだった。アカシアハイツでは、今年4月、入居者と職員の計92人が新型コロナウイルスに感染し、入居者17人が亡くなるという道内最大規模のコロナクラスターが発生している。札幌市の「検証報告書」では、そうした事態の再発防止に向けて、札幌市が自らの対応について自己点検し、課題や問題点を抽出するという方針を明確に掲げて、実際にどのような問題が発生し、そのためにどのような対策が必要かを具体的に述べている。
 この後の私・たちの「検証」では、当初、「市民検証」で考えていたのとは異なり、施設側よりも、むしろ、市側の対応や責任を問うことが主軸になると思うが、その際に、札幌市の「検証報告書」は、私たちが改めて今回の「出来事」をめぐる「検証」を進めようとする際の1つのモデルとなるものように思う。
今回、リハビリホームの多くの入居者が死亡した背景として、施設側の「コロナ隠し」に加えて、施設でのコロナクラスターの発生の発覚後も、県医療支援チームがリハビリホームに派遣されるまでのほぼ1週間、「介護崩壊」状態の中で必要な医療的ケアがほとんど行われなかったということがある。また、当初、市としては、施設のコロナ感染者の入居者全員を入院させる方針だったが、入院先の病院の受け入れ拒否により、少数の重篤者を除いて県医療支援チームが施設内で治療を行うという、「籠城」路線が最終的に選択されている。
 今後、私・たちは、そうした初動体制の遅れや、病院ではなく、老健施設での隔離・治療という方針の決定の経緯やその妥当性、また、病院側の「受け入れ拒否」の理由であった感染防護具の不足や看護体制の不備、院内感染に対する危惧といった問題がその後どこまで改善されたか等を軸に「検証」を進めていきたいと考えている。そのことと併せて、介護施設でのコロナ集団感染死の再発防止に向けて、札幌市の「検証報告書」をモデルとしてリハビリホームでの「出来事」をめぐる「検証」を行うことを、ぜひ市に求めたいと思う。
 そうした取り組みを通じて、リハビリホームでの「出来事」をめぐる問題点や課題を洗い出しながら、市や県に具体的な取り組みを要求していくことが、現在の「インター・コロナ」社会の中で、介護施設で生活する高齢者の生命の安全を守るための1つの手立てとなるのではないか、と私・たちは考えている。

「置文21」誌 No.49(2020年11月25日)に寄稿したもの

7月29日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求め、返答を聞きに行く

 施設長に会えるようにと事前に電話連絡をして、7月29日午後、申入に対する返答を聞きに富山リハビリテーションホームへ伺った。
 玄関の中でM事務員が待っていた。今日は中に入り、施設長に答えを聞けると思った・・・。

 施設長から指示されていたのか、M事務員は今日も中に入れてくれず、玄関先で対応した。施設長は利用者との応対で忙しく、直接答えることはできないので、M事務員が答えるという。

 

 M事務員は、施設長の返答を伝えた。

1 市民とともに「市民検証」をすることはできない。
2 富山市と富山保健所の指導の下で「検証」はすでに終わっている。
3 検証内容は個人情報に関わるので、内容を公開することはできない
と明確な返答があった。理由を聞くと私では答えられないというばかりであった。

 「検証」を市民とともにすること、「検証」内容を公開することが信頼を得ること、「検証」内容を公表している施設などがあることなど、今までの申入書の趣旨を再度伝えていると、老人ホームから二人の利用者と介助者が車で到着。玄関を通って中に消えていった。

 施設長は謝罪会見で信頼を回復したいと発言されていたのに、直接回答せず、理由も答えないというあり方は、社会的な責任を果たしていないのではないか。施設長に直接会えるようにすることがあなたの役割ではないか。M事務員は必ず伝えることを約束したが、必ず会えるようにするとは答えなかった。

7月27日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す

 一週間経っても連絡がないので、7月27日9時過ぎ、返事を聞きに富山リハビリテーションホームへ。M事務員が現れた。M事務員は一週間前の申入書は施設長と理事長に渡したが、施設長は忙しく、申入に対してどうするのか、決めていないので、返事ができないという。
 下記の申入書を渡した。水曜日の午後来るので、その時は返事をいただきたいと申し入れてきた。

申入書

7月20日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す

 7月20日、9時過ぎ、富山リハビリテーションホームの玄関先で施設長を待っていましたが、施設長は忙しく玄関には現れなかった。
 M事務員が現れ、事務員に、申入書の趣旨と一週間以内に申入に対しての返事をして欲しいこを話し、下記の申入書を渡した。

申入書

7月12日 WALKING/SPEAKING
「富山リハビリテーションホーム」での
コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め! 
「市民検証」への参加の呼びかける

2020/07/14

 Withコロナ下での新しい街頭行動としてWALKING/SPEAKINGを行った。当日は小雨模様の中、富山城址公園から出て「富山リハビテーションホーム」前でしっかり話し、富山市の繁華街である総曲輪通りやグランドプラザをぐるっと歩いて回ってきた。
 施設内でコロナ死した高齢者たちの最期の声「わたしを生きさせよ」に応答したいという願いで始めたWALKING / SPEAKINGであるから、拡声器よりも肉声で語りかける方がふさわしいだろうと、以下のようなやり方を選んだ。
 歩道を、間隔を空けて、横断幕(ボード)とバナーを掲げながらゆっくりゆっくり歩く。声を揃えるのは、横断幕の言葉「『富山リハビテーションホーム』でのコロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め!」だけ。あとは、参加者がそれぞれ思い思いに、メガホンも使わず、語りながら歩く。
 実にシンプルである。しかし、シンプルであるからこその新鮮さもあった。
 スピーカーが乗った街宣車を使うデモとは違うので、スケール感はないが、小回りが効いて、アーケード街にも商業施設の広場にも、ひょいひょいと入り込んで行ける。広場では、小さめの横断幕(ボード)を見て興味をもってくれた人たち何人かと、個別に話し込むこともできた。大音響のものものしさがない分、「何ですか?どういう意味ですか?」と気軽に話しかけてくる人もいるのだ。
 そこで話し込んだうちの一人、介護施設でヘルパーを長い間していたという女性は、「富山リハビテーションホームの内部事情や介護保険のインチキぶりを、自分はみ~んな知っている。あなたたちの言うとおりだ。」と言ってくれた。うれしい出会いである。
 興味をもってくれた人には、わたし・たちがこれからやろうとしている「市民検証」への参加を呼びかける文章(別に掲載)と、高齢者生存組合のリーフを手渡した。
 もちろんこれはささやかな一歩だが、「富山リハビテーションホーム」での出来事を、「一事例」として早期に閉じてしまおうとする施設側や富山市に対し、「この出来事を、死者たちの最期の声『わたしを生きさせよ』に応答し、施設のあり方、介護保険制度のあり方、「介護の社会化」のあり方等をどうすべきかを問い返すために常に立ち戻るべき『場所』として、永遠に開き続けることこそ必要なのだ」と迫ることの始まりにしたい

城趾公園で 「市民検証」を
富山リハビリテーションホームで 「高齢者の声を聞け」
グランドプラザで 「市民検証」を
総曲輪通りで 「市民検証」を

2020/07/12

わたし・たちは、なぜ「市民検証」を行うか

 介護老人保健施設「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を「検証」するとはどういうことか。
 「再発防止」に向け、施設のあり方がどうであったかを問う「検証」は、徹底してなされねばならない。また、施設を指導する立場の行政のあり方を問う「検証」も、同様になされねばならない。これらに、市民の厳しい目が向けられるべきであることは、言うまでもない。
 しかし、それだけでことはすまない。そのような「検証」を、どんなに精緻に進めても、それは、今回の出来事を、今後の「教訓」とするための「一事例」へと処理することに変わりはないからだ。わたし・たちはむしろ、今回の出来事を手慣れた手つきで一事例として処理し、記号化し、閉じてしまうことに、強い違和感を禁じ得ない。
 それでは、「富山リハビリテーションホーム」の施設内でコロナ禍により死の淵に追いやられた高齢者たちが、苦しみの中であえぎあえぎ「わたしを生きさせよ」と表出した声に、応じたことにはならないのだ。その表出された声に促されて行うもう一つの「検証」といったものが、わたし・たち市民によってなされなければならないのではないか。
 もちろん、死者たちの声をわたし・たちが今さら直接聞き取ることはできない。
 しかし、苦しみの中で「わたしを生きさせよ」と表出し続けたであろう声に、「あなたに生きていてほしい」と応答することは、社会的にどうしたら可能であったのか、また可能であるのか、それを追求することに向けて、この出来事を切開し、何度でも「検証」すべきではないか、とわたし・たちは考える。
 身内の手で同施設に預けられたであろう高齢者たちが、事情を説明してもらえぬまま、突然、介護・医療のケアを放棄され、放置され、死の淵に追いやられた。そこで表出される言葉は、人との関係を求める切実な願い、生への意思表示ではなかったか。
 その言葉は、宛先のないままに宙をさまよわせてはならない。わたし・たちが、その宛先になり、「あなたに生きていてほしい」と応答すべきではないか。
 そのためには、名前を剥奪され、「報道事例76」などと記号化され、廃棄されたコロナ死者たちの同施設内での日々の過ごし方(ケアや医療を受けた実態、そのとき交わされた言葉や身振り、そしてケアされず放置されていたときの実態等)の「記録」を取り戻し、表出された言葉をそこから察することから始めるしかない。
 比喩的に言えば、それは、一人一人の死者の「顔」を眼前に並べることに等しい。一人一人の顔を見ているうちに、いつの間にか、見ている自分が死者たちに見返されていることに気付くだろう。
 死者たちのまなざしにさらされる中で、呼びかけてくる声を聞き、その呼びかけに応答しようとする。それは、施設内でコロナ死した死者たちと、彼ら/彼女らを苦しめるもとになった、折り重なり、もつれ合った課題を共有することに等しい。
 様々なものが課題として、問いとして、浮かび上がってくるだろう。――「介護の社会化」は今では「介護の施設化」に等しいのではないか、老健施設の運営は様々な厚労省の加算政策により著しく歪められており、そのことが入所者を苦しめているのではないか、そして、コロナ死者に対する差別、とりわけ高齢者の生に対する差別が、この間、この社会で一層露わになっていないか、等々。
 わたし・たちは、同施設内でコロナ禍で亡くなった者たちの最期のあえぎ声「わたし を生きさせよ」に「あなたに生きていてほしい」と応ずることこそが、わたし・たちの「市民検証」であると考える。それは、今回「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を、今後のための「一事例」として閉じてしまうのでなく、常に問いを発し続ける場として、死者たちと共有し、開いていくための営みである。

「高齢者生存組合」立ち上げのご報告と企画のご案内

2020/06/28

 

私・たちは、一昨年の「米騒動100年プロジェクト」以来の念願だった「高齢者生存組合」の立ち上げに、ようやくたどり着くことができました。同封した簡単なリーフレットをご覧ください。謹んでここに、ご報告申し上げます。

 さて、今は一段落していますが、富山県のコロナ感染者数及び死者数の特徴は、富山市民病院内と介護施設「富山リハビテーションホーム」内の二つのクラスター感染が突出していたことでした。このことは、ニュース等で県内のみならず、県外の皆さんのお耳にも届いているかもしれません。
 私・たちが最も胸を痛めているのは、高齢者や基礎疾患を抱える者が、コロナ感染死の危険に、よりさらされてしまうということです。とりわけ、「富山リハビテーションホーム」での施設内感染(入所者と職員合わせて59人が感染、15人の入所者が死亡)は、悲惨なものでした。
 施設に預けられ、感染の事情が分からないままに半ば放置され、誰にも看取られることなく死んだ入所者たちの無念を思うと、筆舌に耐えません。そして、その「無念」を胸に刻もうとせず、姿をくらましていた施設責任者の「無残」なあり方、それを糾さない行政のあり方、これらに対する怒りがこみ上げてきます。
 しかし、その一方で、コロナ感染死者の名前を公表せず、死者数としてカウントするのみで、人の人生を「未完」のまま抹消してしまうこの社会、肉親の晩年を施設に委ね、生殺与奪までをも施設に委ねることになってしまったこの社会を構成しているのは、私・たち自身でもあります。
 「介護の社会化」は、高齢者の生殺与奪を「社会」としての介護施設に委ねることではないはずです。「介護の社会化」を、高齢当事者の側から考え、問題にしていくことが、今、求められていると思います。

 

私・たちは、「高齢者生存組合」として、来る7月12日(日)、ウィズコロナ下の新しいデモンストレーション「WALKING/SPEAKING」を行います。
多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

「市民検証」への参加を呼びかけます

WALKING/SPEAKING
「『富山リハビリテーションホーム』での
コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め

日時: 2020年7月12日(日) PM14:00~15:00
場所: 富山城址公園南東隅(ANAクラウンプラザホテル付近)集合

高齢者生存組合リーフ表
高齢者生存組合リーフ裏  
  高齢者生存組合 ご挨拶

 

〈高齢者生存組合〉見参!!

♪♪ 信じられるなにかと 愛し合えるなにか それだけあれば・・♪♪

一つ、人の命を もてあそび
 二つ、不埒な仕組みを たてにとり
  三つ、見捨てて 踏みにじる
   四つ、世の中 末も末
    五つ、行くぞ我ら老爺老婆軍団
     六つ、向かうは この世の大転覆
       津々浦々に名が響く〈高齢者生存組合〉
         批判・糾弾くわえて 仕損じなし

♪♪たたかえるなにかと 守りぬくなにか それだけあれば・・♪♪

〈 高齢者生存組合〉口上!!

お控えなすって
手前 生まれは「生・労働・運動ネット」です。・が煩わしいとのご批判もごぜえますが
こればっかりははずせねえ、ふけーわけがごぜえましてどうか許してやってくだせーまし
手前・らは、「ジャナカシャバ」(『今のようではない世の中』)を求め続けてきた者の末裔
手前・らの掲げるは、〈すべての生の無条件の肯定を〉の旗
手前・らが創り出すのは、〈最終組合〉としての〈生存組合〉
お聞きわけくださってありがとうさんでごぜーます ご一統さん
へー〈最終組合〉たあ 何だとお訊ねですか
  一つにゃ、それは年寄りの命の最後のよりどころ
    一つにゃ、年寄りの最低はもとより最高必需の要求する者の集まり
      一つにゃ、それは終わりのない異議申し立て者の集まり

裏も表もごぜーません これが手前・らでごぜーます
ご一統の皆さん方 こうごよろしくおひきまわしくだせーますよう お願えいたしやす

「高齢者生存組合-約束事」

  • 組合は、自らを高齢者と認識し、高齢者の生きる権利を天下に向かって、主張せんとする者によって構成される。
  • 組合の活動は、自らを〈高齢者生存組合〉を名乗る者によって、進められる。
  • 組合の活動は、組合員の発議にもとづくが、『全員一致主義』を原則とはしない。(ヤリタイ者ガヤリ、ヤリタクナイ者ハ邪魔ヲシナイ。)
  • 組合は、そのネットワークの連絡場所を生・労働・運動ネット富山の事務所(富山市神通町3-5-3)におく。
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高齢者生存組合 ご挨拶
もうたくさんだ行進!
高齢者生存組合を!
とめるぞ!志賀も川内も!
ブラック企業 ゼロにしろ!