高齢者生存組合

2020 アクション  

2020年7月12日  「市民検証」への参加の呼びかけ


WALKING/SPEAKING

  
「富山リハビリテーションホーム」でのコロナ死者の無念を 怒りをもって胸に刻め!

街頭デモ
高齢者生存組合を
街頭デモ
高齢者生存組合を

 
総曲輪通り約1時間の街頭アクション
 

高齢者生存組合を
街頭デモ
11月25日
 「インター・コロナ」社会の中で
   「高齢者生存組合」の再起動へと向かいたい
1.「高齢者生存組合」  〈生のサンジカ〉の今日的な姿形を目指す
 私・たち「高齢者生存組合」は、この社会の中で高齢者が否応なく負わされる多重の「生」の困難に共に立ち向かおうとする者たちの「結び=合い」・「組み=合い」でありたい、と考えている。
  一昨年の2018年は、日本史上最大の民衆騒動である1918年の『米騒動』からちょうど100年目の年であった。2018年の4月から10月にかけて、私・たちは「『米騒動』100年プロジェクト」を企画し、『米騒動』後の100年の民衆運動の歩みを、「全ての『生』の無条件の肯定」を求める民衆同士の「結び=合い」・「組み=合い」(私・たちはそれを〈生のサンジカ〉と呼んでいる)の軌跡としてたどり直すことを試みた。「100年プロジェクト」の最終回の集いでは、「ネオリベ攻撃」による私・たちの「生の保障」の破壊の中で、「生の再生産」領域が支配権力との攻防の大きな焦点となっていることを改めて確認したが、そうした状況に相応しい〈生のサンジカ〉の今日的な姿形としての「高齢者生存組合」がその場で提唱された。
 それ以降、私・たちは、構想のレベルを超えた姿形のあるものとして、「高齢者生存組合」を生み出すことに向けて手探りすることを重ねてきた。
2.コロナ禍の中で「無念の死」に至った者たちへの「応答」を試みる
 そうした模索や手探りの状態を超えて、私・たちが「高齢者生存組合」としてアクションへと踏み出す大きな契機となったのが、今年春、富山市内の老健施設「富山リハビリテーションホーム」(以下「リハビリホーム」と略)での新型コロナウイルス集団感染により多数の高齢者が死亡するという「出来事」だった。
 リハビリホームでは、当時66人の入居者中の41人、職員64人中の18人の計59人が感染するという全国的にも大規模なコロナクラスターが発生したが、途中で陰性に転じた1人の入居者も含めて新型コロナウイルスに感染した入居者の内の15人が死亡した。また、コロナに感染した職員の入院や「濃厚接触者」の職員の欠勤などによる圧倒的な介護職員の不足の中で、コロナ陰性の入居者の内の5人が持病の悪化等のために死亡している。
 すでに4月初めからリハビリホームでは入居者の発熱が多発しており、職員の間ではコロナではないかという不安の声が上がっていたにも関わらず、施設側がコロナクラスターの発生の可能性に目をふさぎ、施設内のコロナ感染者への必要な医療を事実上放棄し、感染症法で義務づけられている感染症発生の報告さえ行っていなかった。そのため、体調が悪化した入居者が4月17日に緊急搬送されて、入院先の病院でのPCR検査によって同施設での新型コロナ感染症の発生が初めて正式に確認されたときには、もはや容易には手が付けられないほどの規模で施設内でコロナクラスターが拡大していた。そのために入居者の入院や治療が大幅に遅れてしまったことが、リハビリホームで多くの高齢者が死亡したことの大きな背景としてある。
 医療・ケアを最後まで切実に求め続けていたはずのそれらの高齢者に思いを寄せるとともに、そうした「無念の死」を引き起こした者たちの責任の「不問」化への怒りや疑問から、私・たちは「高齢者生存組合」として、リハビリホームでの新型コロナ集団感染死をめぐる経緯・事実関係や、入居者の死に対する施設側の責任を明らかにすることに向けて、「市民検証」の取り組みに着手した。

 7月12日(日)に私・たちが企画した「WALKING/SPEAKING」では、「コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻め!」と書いた横断幕を手に、リハビリホームの周辺や富山市中心部の歩道を歩きながら、今回の「出来事」についてそれぞれが思うことを肉声で訴えるとともに、「市民検証」への参加を訴えた。こうしたスタイルでの街頭アクションは私・たちとしても初めての試みだったが、通常のデモでは通ることのない富山市の繁華街の歩行者専用道路を歩きながら、ビラを手渡したり、その場にいた何人かの人たちと話し込むことができた。
 7月16日(木)、リハビリホームは、「施設でのコロナ集団感染は収まった」として「終息宣言」を発したが、それに対して、私たちは、「コロナ集団感染の終息は、今回の『出来事』の収束ではない」という思いから、7月下旬から8月初めにかけて数回に渡ってリハビリホームへの申し入れ行動を行った。その中で、私・たちは、施設側が市民とともに今回の「出来事」の検証を進めることや、リハビリホームでの「出来事」に対する施設側の内部調査の公開を求めた。しかし、結局、施設側は、「すでに市から指導を受けている」として、私・たちの要求を拒否した。
 それと併せて、私・たちは、「市民検証」の一環として、行政側の対応も含めてリハビリホームでの「出来事」をめぐる経緯を明らかにすることを求めて、7月15日(水)に富山市に対する公文書公開請求を行った。コロナクラスター発生による「介護崩壊」状態の中でそのことを言ってどれだけ意味があるかと思うのだが、富山市が今回の「出来事」に関して施設側に発した公文書の多くが、コロナクラスター発生後、入所者に対する職員数が定数を下回ったことへの改善を「勧告」するものだった。
 5月11日にリハビリホームは市に「事業改善計画書」を提出しているが、それは、あくまでも市が勧告する職員定数の改善に向けたものでしかなかった。また、5月28日に行われたリハビリホームでの「コロナ集団感染事例に係る合同検討会」の議事録や、その「検討会」を受けて6月5日に市が施設側に発した「指示書」も入手したが、いずれも今後の感染症発生の予防・改善を指導するというレベルに止まるものだった。
 そのように、「介護崩壊」状態にある施設に対してただ職員定数の改善を「勧告」するという杓子定規で硬直的な対応の一方で、施設側が感染症の発生の報告を行わなかったり、入居者の保護の義務を果たさないといった、施設で生活する高齢者の生命に関わる重大な違反に対して何の「指導」も行っていない、という市の福祉行政のいびつなあり方が、今回の公文書公開によって改めて明らかになったように感じている。
3.改めて「検証」に向けた〈試〉を続けたい
 現在、東京では連日100人~200人規模の新規感染者数が報告される一方で、政府は「経済の活性化」を掲げて多額の公的資金を投入して国内旅行や外食を奨励している。そのように、新型コロナウイルスの存在を前提として、コロナ感染症への対策と緩和策の両方が同時に実施されるという、「ポスト・コロナ」ならぬ「インター・コロナ」とでも言うべき状況の中に私・たちはいる。
 8月初めにリハビリホームが私・たちの要求を拒否して以降、私・たちは、「市民検証」の取り組みを中断してきたが、その際に、リハビリホームでの「出来事」が富山で急速に忘却されようとする中で、私・たちの「市民検証」がすでに政治的・社会的な意義を失ってしまっているのではないか、という懸念があった。また、拒否的な態度を取る施設側に対して、「無念の死」をとげた者たちへの「応答」を掲げ続けることは、死者たちの死を政治的に利用することになるのではないか、というためらいもあった。
 そうした私・たちの懸念やためらいを突き崩したのは、1つには、今年9月の富山市議会での富山市福祉保健部部長の、「リハビリホームでのコロナ集団感染の予見は困難であり、施設側の管理責任は問えない」という答弁であった。手続き通りに感染症発生の報告を行っていれば、死者の数をゼロか、少なくとももっと少なくできたはずの事態に対して、市議会という公的な場で施設側の管理責任を免責する発言を市側が行ったことに対して、私・たちとしてはそれをそのまま座視して済ますわけにはいかない、と強く感じている。
結局、そのように市が施設側の責任を免責しようとすることは、施設での「出来事」に対する市自身の責任や対応のあり方自体も不問に付そうとするものではないか、と私・たちは思わざるを得ない。

 それと併せて、私・たちが「高齢者生存組合」として今回の「出来事」をめぐる「検証」に改めて取り組むことを決意させたのは、札幌市保健福祉局が、札幌市の老健施設「茨戸アカシアハイツ」で発生したコロナクラスターに関する「検証報告書」を10月に発表したことだった。アカシアハイツでは、今年4月、入居者と職員の計92人が新型コロナウイルスに感染し、入居者17人が亡くなるという道内最大規模のコロナクラスターが発生している。札幌市の「検証報告書」では、そうした事態の再発防止に向けて、札幌市が自らの対応について自己点検し、課題や問題点を抽出するという方針を明確に掲げて、実際にどのような問題が発生し、そのためにどのような対策が必要かを具体的に述べている。
 この後の私・たちの「検証」では、当初、「市民検証」で考えていたのとは異なり、施設側よりも、むしろ、市側の対応や責任を問うことが主軸になると思うが、その際に、札幌市の「検証報告書」は、私たちが改めて今回の「出来事」をめぐる「検証」を進めようとする際の1つのモデルとなるものように思う。
今回、リハビリホームの多くの入居者が死亡した背景として、施設側の「コロナ隠し」に加えて、施設でのコロナクラスターの発生の発覚後も、県医療支援チームがリハビリホームに派遣されるまでのほぼ1週間、「介護崩壊」状態の中で必要な医療的ケアがほとんど行われなかったということがある。また、当初、市としては、施設のコロナ感染者の入居者全員を入院させる方針だったが、入院先の病院の受け入れ拒否により、少数の重篤者を除いて県医療支援チームが施設内で治療を行うという、「籠城」路線が最終的に選択されている。
 今後、私・たちは、そうした初動体制の遅れや、病院ではなく、老健施設での隔離・治療という方針の決定の経緯やその妥当性、また、病院側の「受け入れ拒否」の理由であった感染防護具の不足や看護体制の不備、院内感染に対する危惧といった問題がその後どこまで改善されたか等を軸に「検証」を進めていきたいと考えている。そのことと併せて、介護施設でのコロナ集団感染死の再発防止に向けて、札幌市の「検証報告書」をモデルとしてリハビリホームでの「出来事」をめぐる「検証」を行うことを、ぜひ市に求めたいと思う。
 そうした取り組みを通じて、リハビリホームでの「出来事」をめぐる問題点や課題を洗い出しながら、市や県に具体的な取り組みを要求していくことが、現在の「インター・コロナ」社会の中で、介護施設で生活する高齢者の生命の安全を守るための1つの手立てとなるのではないか、と私・たちは考えている。

「置文21」誌 No.49(2020年11月25日)に寄稿したもの
7月29日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求め、返答を聞きに行く
 施設長に会えるようにと事前に電話連絡をして、7月29日午後、申入に対する返答を聞きに富山リハビリテーションホームへ伺った。
 玄関の中でM事務員が待っていた。今日は中に入り、施設長に答えを聞けると思った・・・。
 施設長から指示されていたのか、M事務員は今日も中に入れてくれず、玄関先で対応した。施設長は利用者との応対で忙しく、直接答えることはできないので、M事務員が答えるという。

 

 M事務員は、施設長の返答を伝えた。
1 市民とともに「市民検証」をすることはできない。
2 富山市と富山保健所の指導の下で「検証」はすでに終わっている。
3 検証内容は個人情報に関わるので、内容を公開することはできない
と明確な返答があった。理由を聞くと私では答えられないというばかりであった。
 「検証」を市民とともにすること、「検証」内容を公開することが信頼を得ること、「検証」内容を公表している施設などがあることなど、今までの申入書の趣旨を再度伝えていると、老人ホームから二人の利用者と介助者が車で到着。玄関を通って中に消えていった。
 施設長は謝罪会見で信頼を回復したいと発言されていたのに、直接回答せず、理由も答えないというあり方は、社会的な責任を果たしていないのではないか。施設長に直接会えるようにすることがあなたの役割ではないか。M事務員は必ず伝えることを約束したが、必ず会えるようにするとは答えなかった。
7月27日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す
 一週間経っても連絡がないので、7月27日9時過ぎ、返事を聞きに富山リハビリテーションホームへ。M事務員が現れた。M事務員は一週間前の申入書は施設長と理事長に渡したが、施設長は忙しく、申入に対してどうするのか、決めていないので、返事ができないという。
 下記の申入書を渡した。水曜日の午後来るので、その時は返事をいただきたいと申し入れてきた。
申入書
7月20日
 「富山リハビリテーションホーム」に市民とともに
新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を
進めることを求める 申入書を渡す
 7月20日、9時過ぎ、富山リハビリテーションホームの玄関先で施設長を待っていましたが、施設長は忙しく玄関には現れなかった。
 M事務員が現れ、事務員に、申入書の趣旨と一週間以内に申入に対しての返事をして欲しいこを話し、下記の申入書を渡した。
申入書