2020/07/27
富山リハビリテーションホーム
施設長 升谷厚志 様
高齢者生存組合
代表 埴野謙二
申入書
7月20日、私・たち高齢者生存組合が、貴職に対して貴施設での新型コロナ集団感染をめぐって市民と共に検証を進めることを要請する「申入書」をお渡ししてから、すでに一週間が経過しました。しかし、未だに貴職からの回答をいただいていません。このことは、貴施設が置かれている社会的な位置からしても、また、貴職が負うべき半ば公的な立場に鑑みても、きわめて不可解なことだと言わざるを得ません。
新型コロナ集団感染が貴施設において「終息」したとはいえ、貴施設の問題そのものは、決して「収束」してはいません。問題が真に収束をみるためには、職員や入所者への可能な限りのヒアリングを含むさまざまな角度からの内部調査がなされ、その結果が誰にもわかるよう、オープンにされることが不可欠です。
そのような意味で、問題の収束に向けて、現時点で、貴施設の内部調査でどのようなことが行われ、どのような事実が明らかになってきたのかを、私・たち市民に公開することを、強く求めます。
そのことは、何よりも亡くなった入所者やその家族の方たち、現在の入所者の方たち、辞めていった人たちも含めた貴施設の全職員、さらには地域に暮らす私・たち市民のすべてに対する貴施設の最低限の責任を果たすことではないでしょうか。そうした公開の姿勢こそが、貴施設の職員への誹謗・中傷をなくすための最低条件であるはずです。
改めてお尋ねします。今回の貴施設での新型コロナ集団感染の発生をめぐる内部調査がどのように行われ、そこから、どのような事実が浮かび上がっているのか、私・たち市民に、ぜひ明らかにしてください。
なお、この申し入れについては、前回の申し入れの回答とともに、7月29日(水)までに回答いただきますよう、お願いいたします。
連絡先)高齢者生存組合 代表 埴野謙二
〒930-0009 富山市神通町3-5-3
Tel :076-441-7843
2020/07/20
富山リハビリテーションホーム
施設長 升谷厚志 様
高齢者生存組合
代表 埴野謙二
貴職が市民とともに貴施設での新型コロナ集団感染をめぐる「検証」を進めることを求めます
申入書
4月始めからの貴施設におけるコロナ集団感染に対して、私・たちは、深い憂慮とともに注視し続けてきました。
7月16日(木)、貴職は、新型コロナウイルスが貴施設から一掃されたとして、新型コロナの集団感染発生の「終息宣言」を行いました。事態はようやく、混乱のさなかから、やや沈静化し、これまでの過程をある程度冷静に振り返ることができる段階に移りつつあるように見えます。
しかし、その一方で、貴施設での新型コロナ集団感染がどのように起こったのか、また、そのことによって現在、どのような課題が残されているのか等について、貴施設側から市民に向けた報告や説明が充分になされているようには思えません。
私・たちは、貴職に対して、今回の出来事を市民に開き、市民と共に「検証」することを、切に求めたいと思います。そのことが、貴施設で起きた出来事を今も深く憂慮する市民たちの貴施設への信頼回復に繋がるはずだと、私・たちは強く信じています。
貴職の「終息宣言」に同席した山城清二医師は、今回の「終息宣言」によって、施設職員や利用者・家族に対する誹謗中傷を無くしたいという思いを述べていました。施設側が市民に対して自らを開き、今回の出来事について市民とともに「検証」を進めることは、貴施設が再び多くの人々の信頼を取り戻して、いわれなき誹謗中傷を減じる上で不可欠なことのように思います。そのことは、同時に、貴施設内で切実にケア・介護を求めながらコロナ禍で亡くなった入所者たちの無念に対して、貴施設側が改めて向き合うことでもあるはずです。
そうした私・たち市民の思いを貴職が真摯に受け止め、貴施設でのこれまでの状況をできる限り広く開示し、私・たち市民と協働で今回の出来事の全体を「検証」することに向けて勇気をもって踏み出されますよう、要請いたします。
多忙な毎日をお過ごしのことと存じますが、ぜひ、貴職が私たちと直接話す機会を設けてくださるよう、お願い申し上げます。
その日時を、本日から1週間以内にお聞かせいただければと思いますので、下記の連絡先へ、連絡のほど、よろしくお願いいたします。
連絡先)高齢者生存組合 代表 埴野謙二
〒930-0009 富山市神通町3-5-3
Tel :076-441-7843
2020/07/12
わたし・たちは、なぜ「市民検証」を行うか
介護老人保健施設「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を「検証」するとはどういうことか。
「再発防止」に向け、施設のあり方がどうであったかを問う「検証」は、徹底してなされねばならない。また、施設を指導する立場の行政のあり方を問う「検証」も、同様になされねばならない。これらに、市民の厳しい目が向けられるべきであることは、言うまでもない。
しかし、それだけでことはすまない。そのような「検証」を、どんなに精緻に進めても、それは、今回の出来事を、今後の「教訓」とするための「一事例」へと処理することに変わりはないからだ。わたし・たちはむしろ、今回の出来事を手慣れた手つきで一事例として処理し、記号化し、閉じてしまうことに、強い違和感を禁じ得ない。
それでは、「富山リハビリテーションホーム」の施設内でコロナ禍により死の淵に追いやられた高齢者たちが、苦しみの中であえぎあえぎ「わたしを生きさせよ」と表出した声に、応じたことにはならないのだ。その表出された声に促されて行うもう一つの「検証」といったものが、わたし・たち市民によってなされなければならないのではないか。
もちろん、死者たちの声をわたし・たちが今さら直接聞き取ることはできない。
しかし、苦しみの中で「わたしを生きさせよ」と表出し続けたであろう声に、「あなたに生きていてほしい」と応答することは、社会的にどうしたら可能であったのか、また可能であるのか、それを追求することに向けて、この出来事を切開し、何度でも「検証」すべきではないか、とわたし・たちは考える。
身内の手で同施設に預けられたであろう高齢者たちが、事情を説明してもらえぬまま、突然、介護・医療のケアを放棄され、放置され、死の淵に追いやられた。そこで表出される言葉は、人との関係を求める切実な願い、生への意思表示ではなかったか。
その言葉は、宛先のないままに宙をさまよわせてはならない。わたし・たちが、その宛先になり、「あなたに生きていてほしい」と応答すべきではないか。
そのためには、名前を剥奪され、「報道事例76」などと記号化され、廃棄されたコロナ死者たちの同施設内での日々の過ごし方(ケアや医療を受けた実態、そのとき交わされた言葉や身振り、そしてケアされず放置されていたときの実態等)の「記録」を取り戻し、表出された言葉をそこから察することから始めるしかない。
比喩的に言えば、それは、一人一人の死者の「顔」を眼前に並べることに等しい。一人一人の顔を見ているうちに、いつの間にか、見ている自分が死者たちに見返されていることに気付くだろう。
死者たちのまなざしにさらされる中で、呼びかけてくる声を聞き、その呼びかけに応答しようとする。それは、施設内でコロナ死した死者たちと、彼ら/彼女らを苦しめるもとになった、折り重なり、もつれ合った課題を共有することに等しい。
様々なものが課題として、問いとして、浮かび上がってくるだろう。――「介護の社会化」は今では「介護の施設化」に等しいのではないか、老健施設の運営は様々な厚労省の加算政策により著しく歪められており、そのことが入所者を苦しめているのではないか、そして、コロナ死者に対する差別、とりわけ高齢者の生に対する差別が、この間、この社会で一層露わになっていないか、等々。
わたし・たちは、同施設内でコロナ禍で亡くなった者たちの最期のあえぎ声「わたし を生きさせよ」に「あなたに生きていてほしい」と応ずることこそが、わたし・たちの「市民検証」であると考える。それは、今回「富山リハビリテーションホーム」で起きた出来事を、今後のための「一事例」として閉じてしまうのでなく、常に問いを発し続ける場として、死者たちと共有し、開いていくための営みである。
2020/06/28
高齢者生存組合」立ち上げのご報告と企画のご案内
私・たちは、一昨年の「米騒動100年プロジェクト」以来の念願だった「高齢者生存組合」の立ち上げに、ようやくたどり着くことができました。同封した簡単なリーフレットをご覧ください。謹んでここに、ご報告申し上げます。
さて、今は一段落していますが、富山県のコロナ感染者数及び死者数の特徴は、富山市民病院内と介護施設「富山リハビテーションホーム」内の二つのクラスター感染が突出していたことでした。このことは、ニュース等で県内のみならず、県外の皆さんのお耳にも届いているかもしれません。
私・たちが最も胸を痛めているのは、高齢者や基礎疾患を抱える者が、コロナ感染死の危険に、よりさらされてしまうということです。とりわけ、「富山リハビテーションホーム」での施設内感染(入所者と職員合わせて59人が感染、15人の入所者が死亡)は、悲惨なものでした。
施設に預けられ、感染の事情が分からないままに半ば放置され、誰にも看取られることなく死んだ入所者たちの無念を思うと、筆舌に耐えません。そして、その「無念」を胸に刻もうとせず、姿をくらましていた施設責任者の「無残」なあり方、それを糾さない行政のあり方、これらに対する怒りがこみ上げてきます。
しかし、その一方で、コロナ感染死者の名前を公表せず、死者数としてカウントするのみで、人の人生を「未完」のまま抹消してしまうこの社会、肉親の晩年を施設に委ね、生殺与奪までをも施設に委ねることになってしまったこの社会を構成しているのは、私・たち自身でもあります。
「介護の社会化」は、高齢者の生殺与奪を「社会」としての介護施設に委ねることではないはずです。「介護の社会化」を、高齢当事者の側から考え、問題にしていくことが、今、求められていると思います。
私・たちは、「高齢者生存組合」として、来る7月12日(日)、ウィズコロナ下の新しいデモンストレーション「WALKING/SPEAKING」を行います。
多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
記
「市民検証」への参加を呼びかけます
bWALKING/SPEAKING
「『富山リハビリテーションホーム』での
コロナ死者の無念を怒りをもって胸に刻む」
日時: 2020年7月12日(日) PM14:00~15:00
場所: 富山城址公園南東隅(ANAクラウンプラザホテル付近)集合





