発行年 | 書名 | 内容 (目次) |
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2016年9月 | 2016.4.24 特別企画 大野光明さんをむかえて: 「 政治の再設定のために ―『安保法制反対運動』から考える |
■1 はじめに 1
基地問題にむきあう ・・・・・・・1 ■2 安保法制反対運動をめぐって ・・・・・・・ 3 2−1 安保法制反対運動のありようと違和感 ・・・・・・・ 4 2−2 分析 ・・・・・・・ 6 2−3 小さな亀裂――言語化されていないことを開く ・・・・・・・ 8 ■3 〈1968年〉のラディカリズムと現在を切り結ぶ ・・・・・・・ 9 3−1 全共闘というスタイル ・・・・・・・ 9 3−2 いま、政治を考えるとき、何が大切なのか ・・・・・・・ 11 ■4 「人びとの生存や尊厳に関わる問題」としての軍事化 ・・・・・・・ 13 4−1 差別がなければ基地・軍隊は成立しない、そして戦争も正当化できない ・・・・・・・ 13 ■5 「21世紀の安保闘争」という問題提起について・・・・・・・ 16 1.軍事・「安全保障」問題と「人々の生存や尊厳に関わる問題」をいかに「接続」するか ・・・・・・・ 18 2.「安保法案反対運動」の現場は「占拠空間」たり得えていたか ・・・・・・・ 18 3.「21世紀の安保闘争」へ向けて「安保実体」反対運動を相互にいかに「接続」するか ・・・・・・・19 私・たちは昨秋からの「折り返し点」を どう曲がろうとしたのか・・・・・・・ 20 1.2016年4月6日、大野さんの論文を巡って話し合う ・・・・・・・ 20 2.大野さんの論文に対する疑問、批判点として出されたこと ・・・・・・・ 20 3.大野さんの論文への批判を踏まえて整理された自分たちのスタンス ・・・・・ 21 4.大野さんへの「問い」をつくる ・・・・・・・ 23 5.尋ねるべきだった「問い」・・・・・・・ 23 6.自らに差し戻される三つの「問い」 ・・・・・・・ 24 7.現時点での自分・たちの「問い」に対する自分・たちなりのスタンス・・・・・24 |
発行年 | 書名 | 内容 (目次) |
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2016年11月 | 通信特別号 | 「『富山市議会問題』を問う市民集会」 特別号 |
2016年9月 | 通信特別号 | 「はじめに・・・・・・・・・0 インタビューにこたえて・・・・・・・・・1 「市民最低必要アピール」・・・・・・・・・・9 |
2016年8月 | 通信・12 | 「25時行動委員会・富山『2016年度の課題』Ⅰ-2」 「足元の『亀裂』・『分断』の実相を探る 列島『底辺』の現在」 |
2016年2月 | 通信・11 | 「憲法平和主義原理を唯一の戦後日本国家の
構成原理として据え直せ」 国民主義の壁を 越えてこの武藤提起に応えよう! |
2016年1月 | 通信・号外 | 「慰安婦問題『最終』解決に合意」で、
日韓が未だに脱植民地化されていないことが露呈 この「問題」を脱植民地化回避システムの 廃棄へと折り返せ! |
2015年12月 | 通信・10 | 2015.11.29 〈25時行動委員会〉 「プロジェクト・〈ピープル〉の創り方」序(続) |
2015年12月 | 通信・9 | 2015.11.8 〈25時行動委員会〉 「プロジェクト・〈ピープル〉の創り方」序(続) |
2015年10月 | 通信・8 | 2015.9.13 〈25時行動委員会〉 「プロジェクト・〈ピープル〉の創り方」序 ワークショップ:第1回 |
2015年10月 | 通信・7 | 2015.10.4〈25時行動委員会〉 「プロジェクト・〈ピープル〉の創り方」 序(続) |
2015年10月 | 通信・6 | 2015.8.30〈25時行動委員会〉 「プロジェクト・〈ピープル〉の創り方」 |
2015年8月 | 通信・5 | 「8・6 ヒロシマ平和へのつどい2015 検証:被曝・敗戦70年 日米戦争責任と安倍談話を問う」に参加して |
2015年8月 | 通信・4 | 「私・たちの告知列島を宰領する国家への」(最終版)へ の〈後註〉 |
2015年7月 | 通信・3 | 私・たちの告知-列島を宰領する国家への」(最終版)
および その〈註〉 「敗戦70年:私・たちの告知 -この列島を宰領する国家への」 |
2015年6月 | 通信・2 | 25時行動委員会:企画・2-「アンケート」のお願い 25時行動委員会では、「戦後70年安倍談話に抗う-列島住民からのアピールは可能 か」という企画を、8月に向けて用意しています。その準備を進めるうえで、一緒に考 えていただければと思います。次のことにお応えください。 |
2015年6月 | 通信・1 | 25時行動委員会:企画・2-「アンケート」のお願い 25時行動委員会では、「戦後70年安倍談話に抗う-列島住民からのアピールは可能か」という企画を、 8月に向けて用意しています。次のことにお応えいただければ、と思います。 |
2015年7月
25時行動委員会
「わが祖父たちの奪ったもの、
わが兄弟たちの掠めたもの、
ついに奪いえず、掠めえなかったもの」
(中村稔「器物-4 高麗」)
アジア・太平洋戦争敗戦から70年、日本を生きる私たち、「わが祖父たち」に連なる私たちは、アジアにおいて「祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」がなんであったのか・なんであり続けているのかを、なお明かしえないでいる。そのことによって、歴史の闇がなお未開のままに封じこまれている。私たちを宰領する国家は、そのことを忘れ果てたかのように、この70年にいたる時間をアメリカの巨大な傘の下「経済(成長を至上とする)大国」という時間として現出させてきたし、今もなおその時間の更新への野望を捨てきれず、さらにはそれをかっての「帝国」の夢の再生で裏打ちできるかのような幻想に囚われ続けている。
アジア・太平洋戦争敗戦から45年余の後に、「冷戦」の綻びをぬって「ついに奪いえず、掠めえなかったもの」を抱き続ける長い沈黙の果てから、「歴史の闇」をくぐって、「わが祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」を償うことを求めるアジアからの〈声〉が立ち上がってくる。そして敗戦から70年の後においてもなお、「祖父たち」に連なって日本を生きる私たちに、「あなた方はどうするのか、あなた方を宰領する国家をどうするのか」と〈問い〉続けている。私たちは、その〈声〉にうながされ、「歴史の闇」に通底する私たちの内なる闇から解き放たれることに手をかけながら、なお私たちを宰領する国家をしてその〈声〉に向きあい応答させることができていない。
「わが祖父たちの奪ったもの、
わが兄弟たちの掠めたもの、
ついに奪いえず、掠めえなかったもの」
アジア・太平洋戦争敗戦から45年余の時間の後に、綻びながらなお「冷戦」下にあるアジアから立ち上がってきた〈声〉にうながされ、私たちは、とりかえしのつかないことをどうとりかえすのか、「わが祖父たち」のおかした「罪」に覚えるやけつくような「羞恥」をどうするのかという問いの前に、私たち自身を立たせようとする。そのことで私たちは、私たち自身を、「わが祖父たち」が「奪ったもの」・「掠めたもの」の上に成るこの日本を、再審しようと身もだえしながら、70年後にもなお、私たちを宰領する国家にその「奪」い・「掠めた」ことの始原から帰結にいたる「責任」を果たすことを迫ることができておらず、そのことで私たち自身がなにを喪ってきたかを突きつけることができないまま、アジアと出会い損ねている。
アジア・太平洋戦争から70年、私・たちは、私・たちが覚える「羞恥」を「羞恥」として据え、私・たちの「ついに奪いえず」・「掠めえない」ものがなんであるのかを〈声〉にする。列島を宰領する国家が「わが祖父たち」が「奪」い・「掠めた」ことの「反省-究明-謝罪-補償」を果たさず、古来からの最大の「他者」であるアジアを喪い続けるならば、私たちの〈生〉の根が枯れていくことを、そのことを肯んじない私・たちはこの列島の「住民」として、国家がなお「住民」として遇しきれていないアジア出自の列島の住民とともに、列島をアジアに開き、〈共にアジアになる〉こと、米中複合覇権からの〈アジアの解放〉へ向けて、私たちのではなく国家の根を枯らす路、列島に存在する全ての住民が「共和」する列島社会を創出するにいたる路を遠くまで行くことを、列島を宰領する国家に告知する。